机 上 の 芸 術

(と、おいらのクラスメートたち)






 担任、干柿鬼鮫の数学の授業中のことだった。
 いつもは適当に板書を取ってまどろんでいるデイダラだが、今日は違った。夢中でシャーペンを走らせ、目を輝かせてノートを取っている。それというのも、今日の単元が彼の好きな図形だったからだ。といっても問題を解くことが好きなわけではなく、あくまで図形を描くことが好きなのだ。定規やコンパスを使わないフリーハンドでどこまで芸術的な図を描けるか、それは彼の腕の見せ所でもあるのだ。とびっきり上手く描いて、前の席でグルメ雑誌を読んでいるイタチや、後ろで携帯をいじっている飛段、隣で鬼鮫にびびりあがって必死にノートを取っているをあっと言わせてやろう。デイダラは三人が自分を褒める様子を想像して、にやりと笑んだ。
 鬼鮫のやつ、ぱっと見は綺麗に円を描いてっけどよく見ると線がずれてんだよ。ふん、おいらの目は誤魔化せねーぞ、うん!詰めの甘いやつだ、と黒板にチョークを走らせる鬼鮫の後姿に得意げに笑んだデイダラは、腕まくりをして再びペンを握った。すると、

「あ」

 意気込みすぎたのか、芯がぽきりと折れてしまった。その勢いで、線が大きくずれてしまった。まぁこういうこともある、と一人頷いて筆箱に手を伸ばす。ノートに目を向けたまま、筆箱の中に手を潜らせて消しゴムを探す。探す。なかなか出てこない。シャイなやつめ、とデイダラはついに筆箱へ視線をやって中を検めた。

「あれー?」

 家出か?と思いノートの下を確かめ、机の下に目を走らせるが、ない。しまった、家に忘れてきてしまった。そういえば昨日、夢中でコチ鳥の絵を描いてたっけ。すっかり小さくなってしまった消しゴムを思い出した。
 指で消したり、ぐりぐりと塗りつぶしたりすることも出来ない。あと一歩でこの図が芸術となるのだから。仕方ないか、とデイダラは小さくため息をつき、前の席へ手を伸ばした。軽く二、三度その背を突くとイタチは煩わしそうに振り返った。

「イタチー消しゴム貸してくれー」

 デイダラがそう言った途端、イタチは眉根を寄せた。デイダラは『秋の団子特集!』と見出しの付いた雑誌のページに気を取られ、イタチの軽蔑するような視線に気づかない。

「断る」
「えっ何でだよ」

 きっぱりと断ったイタチに、デイダラは拍子抜けしたように言った。

「たかが消しゴムだろ。減るもんじゃないだろ、うん。まあちょっとは減るかもだけどさ」
「自分の消しゴムを他の男に回すなんて非人道的で不埒なこと、俺には出来ない」

 「当然だろう、やっぱりおまえは愚かだな」とでも言うような一瞥をよこした後、イタチは再び雑誌を食い入るように読み始めた。

「……いや何それ。彼女?消しゴムは彼女か、うん?」

 一番愚かなのは自分だってことにそろそろ気づいてくれよな。年がら年中団子のことばっかり考えやがって。ていうか消しゴムでどこまで想像してんだよ。こいつ絶対むっつりスケベ……あーもうめんどくせーな!やっぱうちはイタチってめんどくせー男だ、うん!
 デイダラは気を取り直して後ろを振り返った。いくらこいつでも、消しゴムぐらいは持ってるだろ。コンコン、と机を指で打つと、飛段は携帯片手に顔を上げた。

「飛ー段ー。消しゴム貸してくれー」

 机上には何も置いていないが、その薄っぺらい鞄の奥底に消しゴムの欠片ぐらいは転がってるはずだ。しかしそんなデイダラの思いとは裏腹に、飛段は「あー」と苦い顔をした。

「わっりィな。今ゴム切らしてんだよ。A組の吉高に使ったのが最後でよォ」
「そっちのゴムじゃねーよ、ばーかばーか」

 やっぱこいつあほだ。消しゴムって言ってんだろ。なんで「消し」のとこを消すんだよ。おいらは早くこのずれた線を消したいんだよ悟れよ。だいたいA組の吉高って彼氏居ただろ。ていうかこの野郎昨日はC組の染井と……あーもうめんどくせーな!やっぱ飛段は空気より軽い男だ、うん!
 デイダラは大きなため息を吐き、姿勢を戻した。どうしようかと途方に暮れていたとき、左隣のと目が合った。は右手に赤ペン、そして左手にはしっかりと消しゴムを握っていた。そうだ、初めからこいつに頼ればよかったんだ。デイダラはへらりと笑って、の方へ少し身を乗り出した。

「なあー、その消しゴム貸し……あれ、どうしたお前。なんでそんな構えて――ヘブォ!」

 デイダラの言葉が終わらない内に、バチーンという音が教室に響いた。消しゴムを投げつけられたのだ。

「こんな至近距離でそんな渾身の力!」

 やるなとは薄々気づいていたけど、まさか本当にやるとは。たった数秒前の振りかぶるの姿を思い返し、自分の額に投げつけられた消しゴムが床に転がるのを目で追いながら、デイダラは何とも言えぬ敗北感に襲われた。

「…いってぇ……」

 額がひりひりする。なんでこいつ投げやがった。今のピッチングは松坂でも勝てねーよ。おいらはストラックアウトの的かよ。デコは2番辺りか?
 素知らぬ顔で再びノートを取り始めるを恨めしそうに見ていると、「デイダラさーん」という声が聞こえた。デイダラの左斜め前、の前の席のトビが転がっていた消しゴムを拾い上げてこちらに差し出している。意外と気が利くやつだなと思ったが、その手も「これ落としましたよー」と言う声も、ぷるぷると震えている。……こいつ。

「トビィィてめー笑ってんなぁぁ!」
「すんまっせーん!」

 笑い転げるトビを立ち上がって殴ってやろうとしたとき、ビュンッと何かが頬を掠めた。それが何かを確かめる間もなく、背筋が凍るような不気味な声が教室に響く。

「デイダラ君。次また大声出したら……すごいですよ」

 まるで獲物を捕らえるかのような目で鬼鮫がデイダラを見ている。何がすごいのか、想像もしたくない。

「すみませーん……」

 デイダラは消え入るような声で謝ると、トビから消しゴムを引ったくった。静まり返った教室でこれ以上口を開く生徒は居ないと思われたが、勇者なのかただ単に空気が読めていないのか、一人が声を上げた。

「おい鬼鮫、今俺の顔面横をお前のチョークが通過したぞ。どういうことだ」

 グルメ雑誌から視線を上げ、鬼鮫を見据えて淡々と言うイタチに、デイダラは囁くような声で「空気読め!」と言った。鬼鮫はやれやれといった風に返事をする。

「チョークはデイダラ君の元へ急いでいたみたいです、会いたくて」
「そういうことか。おまえ、チョークに好かれているみたいだぞ。良かったな」

 納得したように頷き、デイダラの方へ顔を向けて言ったイタチが心底愚かだと思った。鬼鮫は俺に一目置いているんだとイタチは言っていたが、それはただあまりの面倒さに適当にあしらわれているだけなのだと、なぜ気づかないんだろうか。おまえ、ばかだって思われてるんだよ!
 再び鬼鮫が黒板にチョークを走らせ始めたころ、デイダラはようやく手にすることが出来た消しゴムを片手に、大きくずれてしまった線を消そうとしていた。デコはまだ痛むけど、には感謝しねーとな。そう思いながら、消しゴムをノートに当て、上下に擦った。よし!消え――あれ、なんだこれ。

「……あー!?」

 驚きと怒りと、驚きが混じった声だった。消せば消すほど広がっていく赤い染み。染みを消そうとすれば、それはまた縦に広がり、それを消そうとすればシャーペンで描いた線が消えていく。おいらの、芸術が……。
 デイダラはたまらず立ち上がった。

!おっまえ消しゴムに赤ペンで!?」

 見れば、今ではうっすらとなっているが、消しゴムの先が赤インクでぐりぐりと塗られていた。そういえばさっき目が合ったとき、右手に赤ペン握ってたよなこの女!
 は「そうだけど」と、別段悪びれた風もなく言う。

「だってさ、高校生たるもの消しゴムを忘れてどうするの?自業自得ー」

 ねー、と前の席のトビに首を傾げる。「そうっすよデイダラさん」とヒーヒー笑いながら言うトビ。この状況にまるで関心を寄せないイタチは「ここの店、今度行ってみるか」とページに折り目をつける。飛段は歯を食いしばって顔を赤くするデイダラの様子を写メっている。なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ!

「このクラスろくな奴がいねーよ!」

 怒りにまかせて消しゴムを投げると、それはバチーンと音を立てて黒板にぶつかった。途端に教室はしんと静まった。トビは笑うのを止め、イタチも雑誌から顔を上げ、飛段も写真を撮るのを止めて教室前方の鬼鮫を見た。

「デイダラ君。授業の後、私に付いて来るように」

 消しゴムを拾い上げてデイダラの席までやって来ると、それを机の端に置きながら鬼鮫は穏やかに言った。これは彼が怒り心頭であることの証である。それはクラスの誰もが心得ていることだった。
 教卓の方へ戻っていく鬼鮫の背をぼうっと見送っていると、が先の赤い消しゴムを指しながら哀れむような声で言った。

「デイダラ、それあげるね。お供え物として」






(2009.10.25)
「Good Morning!」と同じヒロインです。