誰のものとも知れない短気な鎹鴉にせっつかれながら、ここまで来た。
 鬼殺隊が解散してからも、鴉によっては元の主と暮らしているらしい。私の雌鴉は良い相手を見つけて旅立っていったけれど、要件も何も伝えず、ただ私の頭を突きながら早く付いて来いと訴え続けるこの鴉は、今もなお主と共にあるのだろう。
 そうして、その家の門前に立ったとき。新緑の香りを抱いた薫風が、背を撫ぜるように吹いた。

「おう、。呼び立てて悪ィな」

 門に背をもたれながら言うその人は、鴉に「ご苦労」と声を掛ける。そうして再び私へ視線をやると、中へ入るよう促した。
 この人の鴉だったのかと思いつつ、満足気に旋回する鴉を見上げて、ぼそりと呟く。

「……どうりで気が短いわけだ」
「あァ?」
「いえ! なんでもございません、風柱様。お邪魔します」


- 風薫る -



 庭をのぞむ客間に通されると、風柱は「好きに座ってろ」とだけ言い残し、奥へと消えて行った。
 私は庭へと目をやる。初夏の日差しのもとで、庭木は青々と輝いている。
 この庭で、無限打ち込み稽古をしたあの日々が懐かしい。男性隊士たちは吐いたり失神したりするほど強く打ち込まれているのに、どうしてか女性隊士たちは竹刀を叩き落とされるだけだった。
 
 そんなことを思い返していると、風柱がお盆を手に現れた。刀しか持ったことがないというような風貌をしていたあの風柱が、お盆を持ち、お茶と茶菓子まで出してくださっている。

「なんだァその顔は」

 目の前の光景が信じられなくて、風柱の一挙手一投足をまじまじと見つめていたら、苛立ちをにじませた声でそう言われた。
 私は「いえ」と首を振り、背筋を伸ばす。

「風柱様、本日はどのようなご用件で?」
「その前にまず、その呼び方はもうやめろォ。あと丁寧すぎる言い回しも邪魔くせぇからよせェ。お前、俺とそんなに歳変わらねぇんだろ」
「……えっと、では何とお呼びすれば?」
「普通でいい」
「……さねちゃん?」
「はァ?」
「え?」
「おいテメェなめてんだろ。刻むぞ」
「あ、すみません! 混乱のあまり、おどけてしまいました」
「混乱のあまりおどけるヤツがあるかよ、あほか」
「すみません、不死川さんと呼ばせていただきます」
「好きにしろォ」

 でも好きに呼ぶと刻まれるらしいので困ったものだ、と思いつつ、出されたお茶をひと口飲む。玉露だろうか。旨味が舌に溶け込み、口いっぱいに香りが広がった。

「おいしい」

 思わずそう声を漏らすと、不死川さんはちらりと視線を向けて、

「そうかよ」

とだけ言うと、そっぽを向いた。
 少し待ってみたが、どうも不死川さんから話を切り出す様子がないので、私は再度尋ねる。

「あの、それで……今日はなぜ私を?」

 すると不死川さんは懐から手紙を取り出し、座卓に置いた。

「輝利哉様から手紙をいただいた。返事は不要と書いてあったが、そういうわけにもいかねェだろ」
「お館様から……まあ確かに、そうですねえ」
「お前は字がうまいと聞いた。悪ィが代筆してくれ」
「は、代筆?」
「俺は字を読めるが、書けない」
「……えっ?」
「あ?」
「話せはするんですよね?」
「――今こうやって話せてんだろうがァ! やっぱりテメェなめてんだろォ!」

 失言だった。不死川さんの生い立ちは知らないけれど、家もきれいに掃除されているし、お茶を淹れるのも上手だから、てっきり恵まれた家庭で育ってきた人なのだと思った。が、どうもそうではないらしいと分かり、動揺してしまったのだ。その事実にというより、ものを表面でしか見れなかった自分に対して。

「す、すみません!」

 頭を深く下げると、不死川さんはため息まじりに言う。

「やっぱあん時叩きのめしておくべきだったか」
「……え?」
「覚えてねぇのかァ。柱稽古の時、ちゃんと体も狙ってください、私をなめないでくださいって喚き散らかしてただろォがよ」

 言われて私は、ああそんなこともあった、と思い出した。
 竹刀を落とされるだけでは納得がいかず、ちゃんと打ち込んでほしいと訴えたのだ。他の女性隊士たちは、風柱様って優しいねなんて頬を染め合ったりしていたけれど、私は女だからと手加減されているようで悔しかった。
 確か不死川さんからは、「悔しかったら落とされねぇようにしっかり握っとけェ」と、そう返されたんだ。

「結局私、不死川さんの稽古で終わりになってしまったんですよね」
「あれはお前が意固地になって残ってただけだろうがァ。俺はさっさと悲鳴嶼さんとこ行けって言ってんのによ」
「だって、竹刀落とさなくなったから合格って……」
「言っとくが、俺は手加減してねえぞ。お前の握力だけは大したもんだと思った」

 あの稽古からもう半年以上が経つ。その時は知り得なかったことを今こうして聞くことになろうとは、思ってもみなかった。
 私はそんな不死川さんの言葉に、思わずにやけてしまう。

「で、代筆はしてくれるんだなァ?」
「……まさかそれが狙いで甘い言葉を」

 不死川さんは、「さァな」と片方の口角を上げた。そうして私の返事を待たず、どこからともなく墨や筆の一式を取り出し、座卓にどんと置いたのだった。

「お言葉ですが」
「お言葉すんじゃねェ。俺はさっきのお前のにやけた間抜けヅラを承諾の印と見なした」

 そんな強引な解釈を述べながら、不死川さんは筆を押し付けてくる。
 私はそれを一度受け取ったが、近くに置かれていた手紙の「不死川実弥殿」という文字を見て、覚悟を決めた。
 そうして、筆を不死川さんの胸に押し付けながら、

「書き方をお教えしますので筆を持ってみてくださいその方がお館様も喜ばれると思います!」

と、ひと思いに言い切った。
 おそるおそる不死川さんの様子をうかがってみると、胸元に当てられた筆を見おろしている。そうして私の顔を見て、

「お前、今のよく噛まなかったなァ」

 真顔でそう言うので、そこ感心するんだと笑いそうになってしまった。

「三本指でも書けるか?」

 その言葉に、私は首が千切れそうなほど大きく頷くのだった。




 そうして始まった手習いは、一日で収まるわけもなく、その翌日も不死川邸へと通うことになった。

「今日も悪ィな。お前んち、遠いんだっけか?」

 不死川さんは座卓にお茶、茶菓子、書道具一式を置きながらそう訊く。

「まあ、そうですね。ここから川を二本ほど越えたところに」

 私の返答に、不死川さんは目を見開いた。どうやら予想外の遠さだったらしい。

「親戚の家に居候してるんです。実家も親も、もうないので」

 不死川さんは何か言いたげだったが、返ってきたのは「そうか」の一言だった。
 良かった、と内心ほっとしてしまった。だって、慰めや同情の言葉は必要ないから。不死川さんも、同じ思いをしてきた人なのかもしれない。そうでないとしても、立ち入るべきではない線を理解している人なんだな、と思った。

 不死川さんは筆を持つ。お館様にどういうことを伝えたいのか、あらかじめ教えてもらい、私がそれを文字に起こした。それを例として模写するように、不死川さんは傍に置いた私の文字を確認しながら、一字ずつ書き進めていく。
 昨日はこれを三度やったが、本人の中でいまいち納得がいかなかったようで、今日は文章も少し変えた上で挑んでいた。絶対に怒らせてしまうので、これは口が裂けても言わないつもりだが、不死川さんは頑張り屋さんだなと思った。

 鬼殺隊にいた頃には見えなかった人となりが、昨日と今日でなんとなく見えてきた気がしていた。
 例えば、こうして不死川さんが字を書いている間、私は向かいに座って、たまに庭を見やったり、お茶をいただいたりして過ごす。
 当時は、不死川さんの近くにいるだけで殺伐とした気持ちになるものだと思い込んでいたが、実際そんなことはなく、むしろゆったりとした時間が流れて、心地良い気分になる。この人が醸す雰囲気がそうさせるのか。とにかく、不思議だった。

「へったくそだよなァ……読めるかこれ?」

 手紙をもらったことの御礼、元気にやっているという旨の近況報告、また近々会いに行きますという一言を添えて、最後に自分の名前をしたためる。
 そうして書き上げた手紙をまじまじと見ながら、不死川さんがそう口を開いたので、私もその手紙を覗き込む。

「いいんですよ、上手じゃなくても。一字ずつ丁寧に書こうとしたんだなって分かる方が、誠意も伝わるし、なんかかわいいじゃないですか」
「……お前もこれ、下手くそだとは思ってんだな」
「いえいえ、そんな。愛嬌のある字だなとは思いますけど」

 そう言う私を、不死川さんは少し疑わしそうな目で見ている。そこには、どこか不安の色も滲んでいるように思えた。

「心がこもっていれば、それで良いんですよ。私はこのお手紙をもらったら嬉しいです」
「そうかよ」

 私がそう言うと、不死川さんはふいっと顔を背けてしまった。言葉を間違ってしまったのかもしれない、と思った私は、

「大丈夫です! お館様もきっと喜んでくださいます!」

と、語気を強めて言う。

「ねえ不死川さん、大丈夫ですって! 自信を持って! だってこんなに頑張って――」
「うるっせェ!」

 不死川さんがくわっと目を見開いてこちらを向いたので、私は思わず硬直してしまった。するとその様子を見た不死川さんは、ハッと我に返ったようにして、唇を結んだ。
 不死川さんは、手先の器用な人だった。利き手の人差し指と中指を失くしても、残りの指でうまく筆を持ち、こうして一枚の手紙を書き上げたのだ。
 だがどうも、性格の方は不器用らしい。

「ありがとよ」

 ぼそりと呟くように、耳をわずかに赤くしてそう言った。その姿につられてか、私も自分の耳が熱を帯びていくのを感じた。
 良かった。親がなけなしのお金で通わせてくれた手習いが、こんな形で役に立つなんて。財産を授けてくれありがとうと、私は心の内で両親に手を合わせた。



 手紙を託した鴉が飛んでゆくのを、庭先から見送った。気付けばもう日暮れが近くなっていて、空は夕焼けに染まっていた。
 そんな夕空の下で、私は竹刀を持って不死川さんに対峙している。稽古着もお借りしてやる気満々の私に、不死川さんも観念したようにして竹刀を構える。
 鴉を飛ばす前、「どう礼をしたらいいか」と言う不死川さんに、私はすかさずこう返したのだ。「ではもう一度、私に稽古をつけていただけませんか?」と。

「今度は絶対に手加減しないでくださいね、ちゃんと打ち込んでくださいね」
「ったくよォ、痛ぶられんのが好きなのかよテメェは」
「いざ!」

 そうして私が打ち込むと、不死川さんは竹刀で受け、押し返すと同時にそのままぐっと間合いを詰める。振りかぶられた竹刀に、やられる、と思わず目をつぶってしまった。

「おい、墨付いてんぞ」

 耳元でそう聞こえたと思ったら、竹刀を叩き落とされた。私は、ああっと情けない声を漏らす。
 そうして砂利の上に虚しく倒れた竹刀を見下ろしていると、

「ここに」

と、不死川さんの指が私の顎に触れた。
 呆気に取られている私に構わず、不死川さんは懐から取り出した手拭いで、私の顎をごしごしと擦り始める。

「……手加減しないでってお願いしたじゃないですか」
「墨付けた間抜けヅラに脱力しちまっただけだァ」
「本当ですか……ていうか、距離近すぎませんか?」

 すると不死川さんは手を止め、息がかかるほど近づいていたことに今ようやく気付いた、というような反応を見せた。そうして、

「落ちねえから顔洗っとけェ!」

と乱暴に手拭いを持たせると、不死川さんは私から離れ、縁側にどしんと座った。何か気まずさを感じているのか、目を合わせようとしてくれない。代わりに、庭先をじっと見つめている。

 ふと思った。不死川さんはいつも、この庭先を見ながら何を考えているんだろう。
 あの日、あの時、確かにここにいた弟さんや仲間たちの姿を思い返しているのではないだろうか。私だったら、きっとそうしてしまう。

「不死川さんって、毎日何をして過ごしてるんですか?」

 隣に腰掛けそう尋ねると、不死川さんは庭を見据えたまま答える。

「別に。大したことはしてねェ」
「へえ、そうですか」
「そういうお前はどうなんだよ」
「私も、特に何も。住まわせてもらっている親戚からは、何かしても、何もしなくてもあまり良い顔をされないので、今はもう気配を消して過ごしてます」

 不死川さんは私を横目で見やる。
 鬼殺隊に入る隊士たちは、鬼に家族を奪われた人がほとんどで、私もその一人だった。親の仇をとるために入った鬼殺隊は、いつしか私にとって唯一の居場所になった。解散後、厄介者扱いされてもなお親戚の家に身を寄せ続けるのは、一人になるのが怖いからだ。自分の弱さが恥ずかしくて、こんなこと誰にも言えない。
 けれど私を見る不死川さんの目は、それ以上話さなくていいと言っているようで、かえって、この人にならこの気持ちを打ち明けても良いのかもしれないと思えた。
 私はそんな思いを堪えながら、続ける。

「なのでこの二日間、とても楽しかったです。ありがとうございました」

 そうして立ち上がり、

「稽古着とこの手拭いは、洗ってお返ししますね」

と告げて、帰り支度を整えるために部屋へ上がろうと草履を脱いでいると、不意に、不死川さんが言った。

「近所のガキどもに手習いでも教えてやればいいんじゃねェか」

 不死川さんは身を少し倒し、後ろ手をついて空を見上げていた。

「無理ですよ。教える才覚なんて持ち合わせていませんし、まず場所だってないですし」
「ならこの家使え。俺一人で持て余してるしなァ」

 予想もしていなかった言葉に、どう返せば良いのかと口ごもってしまう。
 そんな私をよそに、夕空を見上げ続ける不死川さんは言う。

「そんで俺がいなくなったら、お前の家にしろォ」

 束の間、すべての音が消えてしまったように感じた。空を飛ぶ鳥の声も、風にそよぐ庭木の音も、すべてが。
 それでも目の前にいる不死川さんの髪はゆっくりと揺れていて、初夏のやわらかな風がそよいでいることを教えてくれる。

「いなくならないでくださいよ」

 そう口を突いて出た声は、自分でも驚くほどに小さかった。けれど不死川さんの耳にはしっかりと届いたらしい。

「お前も知ってんだろ、痣のこと」
「本当かどうか分からないじゃないですか」

 不死川さんは再び私の方へ横目をやると、今度は小さく笑んだ。少し困ったような、そんな表情だった。
 私は不死川さんの方へと体をずらして、少し距離を詰める。

「じゃあ不死川さんは、このお庭で剣術を教えたらどうです?」
「……はァ?」
「私は手習い、不死川さんは剣術。一つの場所でどちらも教わることができるから、人も集まりそうだと思いますけど」
「いや、俺には無理だろ。それこそ教える才覚がねェ」
「そんなことないですよ! 面倒見も良さそうですし、きっと慕われる師範になります!」

 語気を強めた私に「うるせェな」と舌打ちしてそっぽを向いた不死川さんだが、その耳は赤くなっていた。夕焼けのせいかもしれない。
 不死川さんは、それから口を閉ざしてしまった。私は庭へと顔を向け、目を閉じる。
 懐かしい日々の中に蘇る、今は亡き仲間たちの顔や声。なかったことになんて、当然できるわけがない。抱えて進むしかない。けれど私は、それらを抱え込んだまま、うずくまっていた気がする。一人で持つには重すぎたから。
 目を開けて、隣の不死川さんに視線をやると、彼はまた空を仰いでいた。私も真似て、空を見上げてみる。

「ねえ、不死川さん」

 不死川さんはどうだろう。この人はきっと、平隊士だった私なんかよりも、抱え込んでいるものがもっとずっと多く、重いはず。きっとこの縁側に座って庭先を眺めながら、抱えたものを一つも落とさずに立ち上がるには、進むにはどうしたらいいか、考えをめぐらせているのではないだろうか。
 自分の足で立てていない私が手を差し伸べるなんて、そんなのはおこがましいけれど、書くことはできると思った。

「子どもたちが集まれば、このお庭も、また賑やかになりますよ」

 私の文字を参考にしながら、一つずつ丁寧に字を連ねる不死川さんの姿を思い返して、こういう未来があってもいいのでは、と例を書き示すことならできるのかもしれない。そう思ったのだ。生意気だと叱られるかもしれないけど。
 でも、努力を惜しまないこの人だから、きっと私が書いた以上のことを実現させていくのだろう。

「どうです?」

 そうして再び不死川さんへと目をやると、彼はいつの間にか庭の方へ顔を向けていた。そうして、

「それも良いかもしれねェなァ」

と、穏やかな声でそう言った。口元がほころんでいるようにも見える。
 ふと、その口元に墨が付いているのを見つけた。無意識のうちに腕を伸ばし、手拭いをそっと当てると、驚いたような表情をした不死川さんと視線がぶつかる。固まってしまった私に、彼は目を細め、ふっと淡く笑んだ。

「あほか。顔洗わねェと落ちないっつっただろ?」

 そのとき、風が吹いた。まるで、立ち止まっていた背中をそっと押してくれるような、そんな初夏の風。


(2021.02.25)