マリーゴールドみたいだと思った。
 スーツ、シャツ、ネクタイまで全てが黒一色で、まるで夜を纏っているかのようなその姿は、春のやわらかな日差しの下では、少し浮いているように見えた。
 けれど、燃えるようなその髪色は、赤とオレンジの花びらを携え太陽に向かって咲くマリーゴールドを思わせた。
 夜の闇の中に、太陽の香りを含ませているような、そんな不思議な人――。

 「髪に何か付いていますか?」と尋ねられたことで初めて、自分がその客の髪を凝視していたことに気づいたは、何度もすみませんと繰り返した。

「何かお探しですか?」

 ひとしきり謝ったのち、取り繕うようにそう言う。その客は顎に手を当てて、店に並ぶ花々を見定めるようにしながら、

「見舞いの花を」

と答えた。
 が提案をしようと口を開きかけたとき、客はカランコエの鉢植えを手に取る。

「この花は葉っぱが肉厚だ! 思わず触れてみたくなる!」

 ひとり言にしては声が大きいので、は何かリアクションすべきかと思い、「確かにそうですね」とうなずいた。

「これにしようと思います」
「あ、あの、お見舞いに鉢植えは避けた方が無難です」
「なぜでしょうか?」
「鉢に根付いていることが、ベッドに寝付くのを思わせるので……」
「うむ、なるほど!」

 大きくうなずき、カランコエを元の場所に戻すと、客はをまっすぐに見据えた。
 
「では店員さん、申し訳ないが、見舞いに合う花を見繕っていただけないだろうか!」
「あっ、はい!」

 その勢いに乗せられ、つい大きな声で返事をしてしまう。そんな声に自分で驚き、口を覆う
 客は満足そうに微笑むと、の隣にぴたりと付き、腕組みをした状態で店内を見渡す。

「で、店員さんのおすすめは!」
「そうですね……お見舞いのお花で人気なのは、今の時期だとガーベラです」
「ガーベラか!」
「ご存じですか?」
「初耳です!」
「……あっ、なるほど」

 今まで出会ったことのないタイプの人だなと思いつつ、は客を見上げて尋ねる。

「失礼ですが、お見舞いのお相手とは、どのようなご関係でしょう?」
「心から尊敬しているお方です」
「ああ……えっと、職場の上司?」

 客は腕を組んだままを見やり、口角をきゅっと上げた。深入りしてはいけないのだとこちらが察してしまうような、そんな表情。

「……すみません。せっかくなので、お花に意味を持たせてあげるのも良いかと思って」
「花に意味を?」
「はい。花言葉って、ご存じですか? お花で気持ちを伝えるんです」
「なるほど」
「ピンクのガーベラには、感謝という花言葉があります」

 はピンクのガーベラを手に取り、客を見上げる。

「感謝か」
「……いかがでしょう?」
「いいな、とても合っている!」

 うなずく客に、もほっと安堵する。

「良かったです。ではガーベラをメインにして、他に似合うお花と組み合わせてみますね。ご予算は?」
「気にせずに。店員さんが良いと思うものを」

 そう言われると加減が難しいなと思いつつ、は微かにうなずくと、合いそうな花を手に取っていく。

「店員さん」
「はい」
「つかぬことを聞くが、青い彼岸花を探しに来た客はいないだろうか」
「青い、彼岸花?」

 ふと手を止めて振り返る。客は口角を上げているが、目の奥に孕む鋭い光に、はたじろいでしまう。
 ――この人は一体、何者なんだろう。

「いいえ。それに、あの、青い彼岸花は見たことも聞いたこともないです」
「そうか」

 そうして出来上がったアレンジメントを携え、その客は颯爽と去って行った。
 悪い人ではなさそうだけれど、時折見せる表情や眼差しに、それ以上近寄れない何かを感じさせる。そんな不思議な人だとは思った。


 はあの時の客を、心の中で「マリーゴールドの人」と呼んでいた。
 ガーベラのアレンジメントは、お見舞いの方に喜んでもらえたのだろうか。青い彼岸花とは何のことなんだろうか。ネットで検索したが、何も出てこなかった。
 また店に来てくれるのだろうかと、どこかでそう期待してしまう自分がいた。

 桜を散らす雨が降り続き、店の中からぼうっと外を眺めていた時だった。あの燃えるような髪が、雨で霞む景色を横切った気がして、は外へ向かう。

「あ……」

 マリーゴールドの人だった。傘も差さず店先に佇み、ただ花を見つめていた。

「大丈夫ですか?」

 そう声を掛けたに、彼は目線だけをやり、口角をきゅっと上げた。赤い毛先から滴り落ちる水が、顔を濡らしている。

「どうぞ中へ」

 
 店の奥にあるスタッフルームへ通すと、はかき集めたありったけのタオルを渡し、体を拭くように勧めた。
 彼は「すまない」とだけ言うと、スーツを脱ぎ、シャツのボタンに手を掛けたので、は慌てて後ろを向く。

「お茶を淹れますね!」

 そう言ってコンロの火をつけ、決して後ろを振り向かないようにしながらお茶の準備をする。

「今日は店員さん一人なのか?」
「あ、はい。というよりもここ、私のお店で……一人でやってるんです」
「そうだったのか。では店員さんと呼ぶのも失礼だったな。申し訳ない」
「いえそんな」
「その若さで自分の店を持つなんて、ご立派だ」
「若いなんて!」

 うれしさのあまり思わず振り向きそうになってしまった。が、ぐっと堪えて「ありがとうございます」と、ヤカンを見つめたまま言う。
 ふと気配を感じて横を見ると、彼が隣に立っていた。上半身裸の状態なので、は「わっ」と声を漏らし、目を覆い隠す。

「ど、どうなさったんですか?」
「行儀が悪いことは承知の上なのだが、この洗い場で服を絞っても良いだろうか」
「あ、はいどうぞ」
「すまん。後で掃除する」
「いいんです全然」

 ぼたぼた、とシンクに水がぶつかる音がする。は目を隠したまま、その音を聴いていた。

「青い彼岸花って、何ですか?」

 水の音が途絶えた。それとほぼ同時に、ヤカンが吹く。コンロの火を止めようと、片手で目を覆ったままもう一方の手を伸ばすと、ごつごつとした何かにぶつかった。指の隙間から目をやると、それはマリーゴールドの人の手だった。彼はより先に、コンロの火を止めたのだった。

「店員さん――じゃなく」
です」
さんか。俺は煉獄だ」
「……煉獄、さん」
さんは知らなくていいことだ」
「じゃあなぜ聞いたんです?」
「それもそうだな。では、忘れてくれないだろうか」

 はそう言った彼の顔を見ることができなかったが、ワントーン低いその声の調子から、きっとあの時のように、目の奥を鋭く光らせているのだろうと察した。

 はそれ以上何も聞かず、急須にお湯を注ぐ。
 マリーゴールドの人は、煉獄というらしい。彼はシンクから離れ、の後ろで頭を拭いている様子だった。

「煉獄さん」

 遠慮がちに呼び掛けると、「はい」と返ってくる。

「ここにお茶を置いておきます。その、ズボンも絞りたいでしょうから、私は店に出てます。ゆっくりされてください」

 そう告げて、は足早に部屋を出た。


 どうしてこんな雨の中、傘も差さずに歩き回っていたんだろう。
 は降り続く雨を見ながら、そう思った。けれどきっと、聞いてはいけないことなんだろう。踏み入ってほしくない一線が明確にある人。

「……煉獄さん」
「なんだ!」

 ひとりごちたつもりが盛大な返事が返ってきたので、は座っていたイスから飛び上がってしまった。
 煉獄はスーツを腕に掛け、髪を後ろで一つに結んでいる。

「あっ、あの、もう平気ですか?」
「水の重みが減って走りやすくなった!」
「走る……? ともかく、良かったです。まだ居てくださって構いませんよ」
「仕事の途中なんだ。もう行かなくては」

 そうして彼は店内へと進むと、

「これを貰えるか?」

と、ガーベラを指した。

「あ、ガーベラですね」
「お館様もとても喜んでくださった」

 お館様。それは一体、どんな方なんだろう。は聞きたい気持ちをぐっと堪えて、続ける。

「それは良かったです。今日は何色にしますか?」
「前回と同じくピンクを」
「はい。何本でしょう?」
「そうだな。負担になってもいけないから、特に立派なものを一つ」
「かしこまりました。では、お包みしますね」
「そのままでいい」

 は首を傾げつつ、煉獄にガーベラを一本手渡す。
 受け取った彼は、そのガーベラをそのままへと差し出した。

「これはさんに」
「……え?」
「こんな俺を、迷わず中へ入れてくれた」

 目を細めて笑う煉獄に、は目を奪われてしまう。
 ――こんなに、あたたかく笑う人なんだ。

さん?」

 我に返り、は差し伸べられたガーベラを慌てて手に取る。

「花を商売にしていると、案外、人からお花をもらうことってなくて……」
「なるほど」
「こんなに嬉しいものなんですね。初心に戻れた気持ちです」

 はガーベラをきゅっと胸に寄せ、煉獄を見上げる。

「ありがとうございます、煉獄さん」

 笑うを、煉獄は瞬き一つせずじっと見つめる。

さんは良い顔で笑うんだな」
「え?」

 煉獄はふっと笑うと、どこからともなく紙幣を出し、

「また来る」

と、風のように去って行った。
 お釣りを渡す暇もなかった。目をぱちくりとさせただったが、手元のガーベラに、また微笑む。
 外を見やると、雨はもう上がり、濡れたアスファルトが太陽の光を浴びてきらきらと輝いていた。



 桜は散り、新緑が芽吹いてきた頃だった。
 は煉獄から貰ったガーベラをドライフラワーにして、スタッフルームの壁に飾っていた。それを毎朝目にしては、今日は来るかな、と期待する。しかしあの雨の日から、煉獄は姿を見せていない。

「近ごろのちゃんは明るいね」

 孫の誕生日祝いにと花束を頼まれ、どの花を組み合わせようかと店内をぐるぐる歩き回っていると、常連客のおばあさんにそう言われた。

「恋だね」
「え?」

 意味ありげな目配せをしてくるので、は顔が熱くなるのを感じつつ、

「身に覚えがないですねえ」

と誤魔化す。
 早くこの花束を仕上げてしまおう。手早く花を選ぶと、は常連客の微笑む顔から逃れるように、作業台で黙々と花と向き合う。
 そんな時だった。

「おい」

 突然ドスの利いた声が聞こえたかと思えば、バケツがひっくり返る派手な音が上がった。
 目をやると、男が二人、店先に立っていた。店の前に置いていた花を引き倒したようで、辺りは水に濡れ、花が虚しく横たわっている。

「何でしょう?」

 は、自分でも驚くほどに冷静だった。常連客は怯えた様子での背後に隠れた。

「お前、柱を匿ってるだろう」
「柱?」

 男たちの瞳孔は開いていた。「とぼけてんじゃねえぞ」と、手近な花桶を蹴飛ばす。

「何の話をしているのか分かりません。お引き取りください、警察を呼びますよ」
「そこだな」

 男たちはの言葉を無視して、スタッフルームへと向かう。乱暴に扉を開けて中へと入って行くので、は常連客に逃げるよう告げると、男たちの後を追った。
 中へ入ると、男たちは部屋中のものを手当たり次第なぎ倒しており、は言葉を失う。膝が震え始めたのを感じていると、不意にあのガーベラが目に映った。
 ――煉獄さん。
 ぐっと、掌を握る。

「何も隠していません! やめてください!」
 
 ギロッと睨まれ、息を呑む。
 ――この人たちは狂ってる。まともじゃない。
 そんな思いがぐるぐると頭に浮かび、抑えていた恐怖が蓋をしきれずにあふれ出しそうになる。
 
「なるほど。鬼舞辻の配下は一般人にこのような所業を」

 すぐ後ろで響いたその声。が振り向くより先に、その人の体が視界を遮った。

「煉獄さん」

 煉獄は顔だけをこちらに向け、を見おろす。の目には、途端に涙がにじみ始める。

さん、表へ出るから脇へ寄ってくれるだろうか」

 は言われるまま、部屋の隅に寄った。煉獄は襲いかかってくる男二人の首根をいとも簡単に掴み上げると、目にも止まらぬ速さで表へ出て行った。
 はその場にへたり込む。何が起きたんだろうと、荒れ果てた部屋を呆然と見つめたまま、

「煉獄さん」

と呟く。
 なぜだか分からない。しかしもう煉獄には会えないような、そんな気がしていた。




 だから、翌朝現れたその姿に、は目を見張った。

さん、昨日はすまなかった」

 はマリーゴールドの花でアレンジメントを作っているところだった。煉獄の姿に鋏を落としそうになりながら、「いえ」と首を振る。

「もうあの連中は来ない。安心してほしい」

 怪我をしているのか、そう言う煉獄の眉の上には、血が滲んでいた。

「煉獄さん、怪我を……」

 はエプロンのポケットからハンカチを取り出し、煉獄へ近寄ると、背伸びをする。手を伸ばしてハンカチを当てると、血はすぐに消えた。
 ――違う。これは、煉獄さんの血ではない。
 煉獄は、戸惑った様子でハンカチを見つめているに言う。

「俺も、もうここには来ない。きっと今後、さんに会うこともないだろう」

 その言葉に、は視界がぐらつくのを感じた。
 
「――と思ったが、どうも手遅れなようだ」

 煉獄はの手からハンカチを抜くと、

「汚れてしまったな。これは俺が貰ってもいいだろうか?」
「あ、はい……」
「では新しいものを買って――」
「どういう意味でしょうか」

 首を傾げる煉獄。は唇を噛み、煉獄を見上げる。

「つまり、これからもお会いできる、ということですか……?」
さんが迷惑でなければ」
「迷惑ではないです!」
「ではない、ということは他に何かあるということだな」
「……もう少し煉獄さんのことを知れたらな、とは思っています」

 煉獄は眉を下げ、困ったような笑みを浮かべた。

「怖くはないのか?」
「分からないことばかりなのが……少し怖いだけです。でも、知れば怖くなると思います。煉獄さんのこと自体は怖くないので」
さんは正直だな」

 煉獄は声を出して笑った。それにつられて、も遠慮がちに笑う。
 
「この花は?」

 煉獄は、作業台に乗る花へ視線をやる。

「マリーゴールドです」
「明るい色の花だな! 見ていると元気が出る」
「――煉獄さんの髪色にそっくりだなって」

 きょとんとした様子の煉獄に、は微笑む。

「マリーゴールドは、太陽に恋した少女から生まれた花なんです」
「少女から花が?」
「はい、伝説ですけど。だからなのか、マリーゴールドは、太陽が昇るころに咲いて、沈むころに閉じるんです。太陽に向かって一途に花を開かせるんですよ」
「それは健気な花だな!」

 マリーゴールドに向かって大きくうなずく煉獄に、はくすりと笑った。

「……真心」
「真心?」
「花の色や品種によっても変わるんですけど、この子の花言葉は、真心です」

 はマリーゴールドを一本手に取ると、煉獄へ差し出す。

「何の面白みもないただの女ですけど、私のことも……煉獄さんに知ってほしいです」

 最後の方は微かに震えてしまった。は唇を結び、伏目がちになる。

さんは十分面白いし、ただの女性だとも思わない」
「そんな……ありがとう、ございます」
「それに俺は、君にとても興味がある。花のことも含め、もっと色々教えてほしい」

 指先にぬくもりが広がり、は手元を見る。煉獄の手のひらが、マリーゴールドを持つの手を包んでいた。

さんは温かいな」
「――煉獄さんこそ」

 これは、太陽に焦がれた花。マリーゴールドは煉獄に向けて、嬉しそうに揺れているように見えた。


- 焦 が れ る -



(2021.04.18)