ああ、やっぱりここにいましたか。君はどうしてもお祖母さまの柩が気になるようですね。
 白い朝顔に囲まれて、まるで眠っているかのように、朗らかな笑みを浮かべていらっしゃる。

 こっちへおいで、昔話をしてあげましょう。

 「杏寿郎さん」を知っていますね? そう、おじさんの実の兄でもある、君のお祖父さまの名です。
 そして君のお祖母さまの、さん。物心つく前に母を亡くしたおじさんにとって、さんは姉であり、母親のような存在でした。

 杏寿郎さん――兄上は、誰よりも強い心を持った、優しくてあたたかな人でした。そしてさんは、いつだって周りを照らしてくれる、明るい人でした。それはまるで、あけぼのに咲く朝顔のように。


- 幾星霜(あけぼのに咲く-後日譚-) -



 母を亡くした時、兄上はちょうど君と同じ十歳で、世界から色が消えたようだったと話していました。
 母――君にとっての曽祖母は、名を瑠火といって、まるで桔梗の花のように気高く、美しい人だったそうです。今も、時期になるとこの庭の片隅に咲く紫の花がそうです。

 私は当時まだ三つでしたが、その朝のことは覚えています。庭先から声が聴こえてきたんです。そこには母が立っていました。ぼんやりとしていて姿ははっきりと見えませんでしたが、母上だ、と直感したのです。そうして兄上とさんを呼びましたが、二人には母の姿が見えていないようでした。
 しかし兄上は、庭の隅に咲いていた桔梗の花を、力強い眼差しで見つめていました。覚悟を決めたような、そんな目でした。
 その時にようやく世界に色が戻ったのだと、私がそうさせてくれたのだと、兄上はのちにそう感謝してくださいました。

 父上――君の曽祖父の槇寿郎は、妻を亡くした悲しみと己の無力さから、長らく心を閉ざしていました。
 けれどこの世に平穏が訪れ、君の父が産まれてからは、まるで暗闇に光が差し込んだように、かつてのような姿を取り戻すことができました。

 君の父が産まれた時? そうですね、さんは臨月を迎えても、変わらず炊事に洗濯、掃除まで一人でこなすほど活発に動き回っていらっしゃって、度が過ぎるとお医者さまに叱られることも度々でした。
 この煉獄家で一番日が当たる部屋を、君も知っていますね? そうです。君も産まれたその部屋で、私も、君の父上も産声を上げました。
 その時のさんは、産まれたばかりの息子を抱きしめて、「やっと会えた」と涙を流し続けていました。

 杏寿郎さんはその時どうしていたのか? ああ、そうか。君はまだ知らなかったね。
 杏寿郎さん――兄上は、その時もう、この世にはいらっしゃらなかった。君の父が産まれる前に、極楽浄土へと旅立ってしまわれました。

 この話をする前に、君の父上に許しをもらわねばなりませんから、今日のところは仔細を伏せておきますが……大正の時代まで、この世には、人ならざるものが存在していました。それらから人々を守るのが、この煉獄家代々の務めでした。兄上もその責務を全うされたのです。

 もちろん、生きていてほしかったですよ。兄上だって、自分の息子が産まれる瞬間に立ち会い、さんとともに、その成長を間近で見ていたかったはず。

 ……少し、兄上とさんの話をしましょう。

 二人は生まれた時からの幼なじみで、それはそれは仲睦まじく、いつも二人で笑い合っていました。

 祝言の日も、あの二人らしい、たいそう賑やかなものでした。

 白無垢姿のさんを見た時、兄上は耳まで赤く染めていて、さんも兄上の紋付羽織袴姿に、綿帽子の下で頬を赤くしておられました。
 はじめは互いに緊張していた様子でしたが、祝言が進むにつれていつもの姿に戻っていき、最後には、飲み慣れない酒に酔った兄上がよろけて、派手に襖を突き倒して……。
 そしてさんも、三々九度では飲むふりをすれば良いと言われていたのに、杯に注がれた御神酒を全て飲みきり、加えて兄上が色々な人から注がれ続ける酒を、こっそりと代わりに飲んであげたりしていたものですから、足元がおぼつかないほど酔ってしまわれて。
 襖を突き破って倒れた兄上を心配するように立ち上がったのは良いのですが、自身もよろけて、兄上に折り重なるようにして倒れてしまわれたんです。
 その場にいた全員が笑っていましたが、さんの母上だけは「まったくこの子たちは!」と顔を赤くしながら、二人を叩き起こしていましたよ。

 あの頃の日々を思うと、兄上の声が耳に蘇るようです。さんの幸福に満ちた笑顔が、瞼に浮かぶようです。

 なぜだか私たちは、今日という日を共に過ごせることが当たり前だと思い込んでしまっていますが、それは当然のことではないのです。
 そのことを知っていたからこそ、あの二人はあんなにも日々を尊び、寄り添い合って生きていたのだと思います。

 ところで君は、めんこを知っていますか? 昔流行った遊び道具ですが、兄上とさんは、そのめんこを御守りとして、互いに肌身離さず持ち続けていらっしゃいました。
 君もさんの柩に、二枚の丸い紙が入っているのを見たでしょう。そう、さんの手元に置かれた、武士と白い犬の丸めんこです。さんは、兄上を亡くしてからも、後生大事にしていらっしゃいました。

 もう間もなく、二人はあの世で再会するのでしょう。さんが持って来た御守りを手にしながら、それぞれが、それぞれの形で守り抜いた家族を、この世を、あたたかく見守り続けてくれるはずです。

 ああ、すっかり空があかね色に染まってきましたね。
 知っていますか? 日が沈む方には、極楽浄土があるんです。そこでは、おじさんの父上、母上、そして君の祖父母が、あの頃のように笑い合いながら暮らしているはず。

 いいですか。いつか皆に会える日まで、これから先どんなに悲しく、つらいことがあったとしても、君は君の今日を尊び、つながれた命を全うできるよう、生き抜きなさい。私もずっとそうして、ここまでやって来ましたから。

 ありがとう、涙を拭ってくれるんだね。君は本当に、姿も心も、杏寿郎さんにそっくりだ。

 さあ、お祖母さまの身体とも明日でお別れです。今夜のうちに、たくさん言葉を掛けてあげましょう。魂はまだここで、僕らの声を聴いているでしょうから。





 その夜、千寿郎は夢を見た。
 それは懐かしく恋しい、あの日々の夢――。


「ほら! 遠慮するな千寿郎!」

 任務から帰った杏寿郎に抱きつき、無事で良かったとその胸に顔を押し当てる
 千寿郎はそんな二人の様子を伺いつつ、自分もそこへ入って良いのかと迷っていると、杏寿郎が手を差し伸べながら、溌剌とした声でそう言ったのだった。

「恥ずかしがっているのか? よもや千寿郎……年ごろなわけだな!」
「本当に鈍いんだから、きょうちゃんは。せんちゃんはとっくの昔からお年ごろなんだよ」

 笑う杏寿郎にがそう指摘するのだが、いずれにせよ千寿郎は、顔を赤くするしかなかった。
 はまだ杏寿郎の腕の中にすっぽりと収まっている。しかし杏寿郎の左胸へと体を寄せると、千寿郎の方へ顔を向け、

「せんちゃん。おいで」

 そう言って、杏寿郎の右胸をぽんぽんと叩いた。ここへ来なさいと誘っているようだった。
 千寿郎は顔をほころばせ、

「はい!」

と、杏寿郎の右胸に飛び込んだ。

「む、千寿郎はの言うことをよく聞くな」
「そりゃあ、胃袋掴んでますから」
「そうなのか! では俺と同じだな! 誰もには敵わん!」
「はい! 敵いません!」
「ちょっと! なんか鬼嫁みたいに聞こえるからやだ!」

 やいやいと騒ぎ合っていると、奥の部屋から槇寿郎の「うるさい!」という声が聞こえてきて、まずが噴き出した。その後で杏寿郎、千寿郎と続き、三人は声を上げて笑うのだった。


 ――そんな、永遠に続くことを願わずにはいられないほどに、幸せな、しあわせな夢。




(2021.02.20)