中学の頃から始めた射撃には、正直飽きてきていた。それでも射撃が有名なこの学園へ編入することを決めたそのきっかけは、玄弥の一言だった。

 玄弥は中学時代から射撃界隈で名が知れていて、大会で初めて見かけた時は胸が高鳴ったのを覚えている。憧れの人に会えたような、そんな感覚。
 背が高くて、トサカのような髪に、鋭い目。いつもどこか不機嫌そうだったから、初めて話し掛けた時はかなり勇気を振り絞った。

「不死川玄弥くん、だよね?」

 そう言った私の声は、多分震えていたと思う。てっきり睨みつけられるものだと覚悟してたけれど、彼は「ああ」と頬を赤らめて視線を左右に泳がせていた。その反応に私は思わず「かわいい」と呟いた。すると今度は耳まで赤くして俯いてしまったので、私の緊張の糸もふっと解けて、初対面なのにぺらぺらと色んなことを話したり聞いたりした。
 玄弥は拒むわけでもなく、相槌をぎこちなく打ちながらも聞いてくれたし、自分のこともぽつりぽつりと話してくれた。それが嬉しくて、そこから私は大会で玄弥を見かけるたびに話し掛けに行った。

 そのうち玄弥も心を開いてくれて、二人で遊ぶようになった。その頃の私は女友達の中で常に気を張っていて、話題も周りに合わせなきゃ浮いてしまうと思っていた。けれど玄弥には遠慮することなく、自分の好きなことを好きなだけ喋ることができた。
 初めての男友達であり、初めての親友。それが玄弥だった。

 進学先に迷っていた私は、玄弥の通う中高一貫校も選択肢に入れていた。射撃部の強豪校だからと、進路指導の先生や親に勧められていたからだ。
 けれど射撃にも何となく飽きてきて、高校では違う部活に入るのもありかもなとも思っていた。となると家から少し遠いキメツ学園の志望度合いは低くなり、最寄りの女子校でいいかもとさえ思いはじめていた。

 そんなある日、いつものファーストフード店でハンバーガーをかじりながら、玄弥が何気なく言ったのだ。

「……お前と一緒に射撃やれたら、楽しいだろうなぁ」

 その言葉に、玄弥と過ごす学校生活が思い浮かんだ。今は週末しか会えないけど、同じ学校に通えば、帰り道にこうしてハンバーガーを食べられる。射撃の新しい楽しみ方も知れるかもしれない。共通の話題ももっと増えるだろうし、テスト前に一緒に勉強することもできる。
 ああ、言われてみれば確かに、親友と同じ学校に通うなんて、ものすごく楽しそう。いいな、そんな高校生活。
 単純な私は、そうやって進学先を決めた。


02.教師と生徒



「えっ、引っ越すの?」
「そ。兄貴んちに」

 入学式から一月が過ぎた。いつものように学食で向かい合ってランチをしていると、玄弥が唐突に「俺引っ越すんだわ」と言った。

「ほらうち、狭ぇだろ。未だに兄弟みんなで雑魚寝だしよ。だから、そろそろ玄弥も一人部屋が必要な年頃だろうからって、母ちゃんと兄貴が」
「年頃なの?」
「うるせぇなあ」

 玄弥は気恥ずかしさを誤魔化すかのように、ずるずるとラーメンをすすった。
 不死川家には何度か遊びに行ったことがある。兄弟が多いからか、笑い声が絶えない、明るい家庭だった。玄弥のお母さんが作る料理はどれもおいしくて、なぜだかどこか懐かしい味がして、不思議と涙が出そうになってしまったのを覚えている。

「でも、そっかあ。もう気軽に遊びに行けないなあ」
「来りゃいいだろ」
「えっ、どこに?」
「兄貴んちに」
「いや、いやいやいや。だって私、玄弥のお兄さんとまともに喋ったことないし。ていうか何より……分かるでしょ?」
「何が?」
「うそ、えっ、とぼけてる? ……先生でしょ、あなたのお兄さん。私その先生から数学教わってる身ですから、おうちにお邪魔するなんてご法度だよ」

 玄弥のお兄さんは、この学園で数学の教師をしている。射撃の大会で玄弥に初めて話し掛けた時、そばにいたのが不死川先生だった。玄弥よりも目つきが鋭くて、私の声が震えてしまったのは不死川先生のあのオーラに圧倒された、というのもかなり大きい。

「じゃあ、兄貴がいない日に――や、それも違ぇか」

 玄弥は耳を赤くしながら、鼻を擦った。何がどう違うのか訊こうとしたが、どこからともなく沸いた黄色い声に遮られてしまう。

「先生、こっちの席空いてるよー!」
「こっちも空いてるー! おいでよー!」

 学食の入り口の方に目をやると、そこには宇髄先生、不死川先生、伊黒先生がいた。どうやら女子生徒の歓声は、教師陣へ向けられているようだった。
 寄ってくる生徒たちを適当にいなす不死川先生を見ながら、玄弥が不思議そうに呟く。

「兄貴が学食なんてめずらしいな」
「うむ!」

 突然耳を突いた大声に私は箸を落とし、玄弥はびくりと肩を上げた。

「いつも弁当を頼んでいる仕出し屋の主人がぎっくり腰でな! 腹が減って仕方がないので、今日は学食を使わせてもらう!」

 いつからそこにいたのか、私の背後に煉獄先生が立っていた。
 呆気にとられていると、先生は私の隣のイスを引きながら、

「この席は空いているか?」

と、返事も待たずに座った。

「おい煉獄、食券! 何食うんだよ!」
「すまん宇髄! 頼めるだろうか! 牛丼とカレーと肉そばと――」
「ああもうテメェは自分で買ってこい」

 煉獄先生の言葉を遮るようにして、お盆を手に持った不死川先生がその隣にどっかりと座った。

「その席、誰も取らねェからよォ」

 不死川先生の言葉に、煉獄先生はひと呼吸置いたのち「そうか」と返すと、

「すぐに戻る」

 なぜか私に向かってそう言った。一連の迫力に押され、こくりと頷いてしまう。すると煉獄先生は目を細めて笑い、宇髄先生の元へと歩いて行った。
 宇髄先生はというと、意味ありげな笑みでこちらを見ている。私は恐ろしくなって目を逸らした。
 あの先生には、入学して早々のある日、廊下を歩いている時に腕を掴まれて「か?」と言われた。どうしてもう顔と名前を知られてるんだろう、編入生だから目を付けられているんだろうか。そんな思いをぐるぐると巡らせながら「はい」と消えそうな声で答えると、「ややこしいことになりそうだなぁオイ」と、言葉とは裏腹に楽しげな笑みを口元に浮かべていたのだった。
 それ以来、私の中で宇髄先生は「よく分からない力の強い人」という認識でいる。

 ぽっかりと空いた煉獄先生の席。その隣に座り、黙々とうどんを食べている不死川先生の横顔を何の気なしに見ていると、「兄貴」という声で顔を斜めに向けた先生と視線がかち合ってしまった。私は小さく頭を下げたけれど、不死川先生は何の反応も返さず、すぐに目を逸らした。

「学校で兄貴呼びすんじゃねェ。何度言やァ分かる」
「あっ、ごめん」

 そこでふと視線を感じて周りを見渡すと、上級生の女子たちが「何あれ」とでもいうような、じっとりとした目でこちらを見ていた。
 そうか、煉獄先生と不死川先生が私たちのテーブルに座ったから……。やだな、早く出て行きたいな。
 気まずい思いで玄弥に目をやると、彼は兄の方へ体ごと向けて、嬉しそうに笑いながら週末の引っ越しについて話していた。
 ちょっと玄弥。心の中でそう呼び掛けたところで、もちろん玄弥は私の視線に気づかない。
 「あの子って一年の、しかも編入生でしょ」というひそひそ声が聞こえてきて、私は耐えきれず席を立った。その時、不意に飛び込んできた箸に、動きが静止してしまう。

「君に」

 煉獄先生だった。お箸を一膳、私の方へと差し出している。

「さっき落としただろう。新しいのを使うといい」
「……あ、はい。すみません、ありがとうございます」

 反射的に箸を受け取ると、煉獄先生は「うむ」と笑んだ。

「よし! では食べるとしよう!」

 見ると、テーブルの上にはいくつもの丼や皿が並んでいて、思わず「えっ」と声が漏れてしまった。

「これ全部、煉獄先生お一人で……?」
「そうだ!」
「今日はまだ軽い方だよなあ。ほい、追加」

 言いながら、宇髄先生が卓上に親子丼を乗せた。

「生徒の食べる分がなくなってしまうと困るからな! 加減をした!」

 手加減してこの量なのかと言葉を失っていると、煉獄先生はこちらを見上げ、

「どうした? 君も座って食事の続きを。まだ皿に残っているぞ!」

 はい、と力なく返しながら再び席に着き、「いただきます」と手を合わせる。すると煉獄先生も「いただきます!」と声を張り、手前の皿から手をつけはじめた。おいしそうにカレーを頬張る煉獄先生を見ていると、もうそれだけでお腹が満たされてしまうような気になった。
 思えば入学式の日から、煉獄先生によく話し掛けられるようになった。先生は、大抵いつも生徒に囲まれている。女子だけではなく、男子からも人気だった。それでも煉獄先生は、私の姿を見かけると、自らを取り巻く生徒たちの間を縫ってまでこちらへ来る。なのでいつも、何か大事な話でもあるのだろうか、と身構えてしまう。
 けれど実際のところは、今日も良い天気だな、授業で分からないところはないか、この後は部活なのか、射撃とはいえウォーミングアップは大事だぞ。話の内容としては大体そんなところなので、いつも肩透かしを食らったような気持ちになるのだった。

「食べるといい!」

 ずい、と目の前に差し出されたのは、たくあんの乗った小皿だった。突然のことに、私は手にしていた箸を再び落としそうになる。

「たくあんはの好物だろう」

 一瞬、耳を疑った。
 って、呼ばれた?

「――え?」

 煉獄先生は、固まってしまった私に首を傾げている。

「煉獄」

 宇髄先生に呼び掛けられ、煉獄先生は「なんだ」と返事をする。
 テーブルに肩肘を突く宇髄先生は、箸先を私の方へ向け、一音ずつゆっくりと言った。

「せ、い、と」

 煉獄先生は「むう」と唸ったあと、

「すまん! 、だな!」

と笑った。けれど煉獄先生以外の人は誰も笑っていなくて、玄弥に至っては思いきり顔をしかめている。
 驚いてしまった。今まで、教師から下の名前で呼ばれたことがなかったから、というのはもちろんだけれど、「」という呼び方がすごく自然で、もうずっとそう呼び続けてきたかのようで。それに、たくあんが好物、って。

「私、たくあんってあんまり食べたことない……です」

 煉獄先生は目を丸くしていた。そんな先生をなるべく刺激しないよう、おずおずと小皿を受け取っていると、

「ハンバーガーだよな、の好物は」

 玄弥が「な」と、いつもより語気を強めて言う。その隣で、宇髄先生がハッと鼻で笑った。

「そうだぞ煉獄。たくあんなんて渋くせぇ食いもん、十六の小娘の好物なわけあるかよ。何時代の話してんだお前は」
「大正時代だ!」

 私も玄弥も「大正?」と眉根を寄せる。
 一体、さっきからなんの話をしているんだろう。私をなんだと思っているんだろう。そういえば初めて会ったとき、「前世を信じるか」と訊かれた。煉獄先生はもしかすると、スピリチュアルな人なのかもしれない。それにしても意味が分からなくて、なんだか少し怖い。

「おい。その辺にしとけェ」

 不死川先生の低い声で、けらけら笑っていた宇髄先生も途端に真顔になった。

「煉獄、早く食え。授業間に合わねえぞォ」
「そうだな! すぐに済ませる!」

 黙々と食べはじめた煉獄先生を横目で伺い見ていると、不意に「」と声を掛けられ、「へっ」と情けない声が漏れてしまう。玄弥がどこか不機嫌そうな表情で、時計を指しながら言った。

「お前んとこのクラス、次体育だろ。間に合うのかよ?」
「あ、そうだった!」

 冨岡先生は遅刻に厳しい。前に何十秒か遅れてやって来た生徒は、放課後にグラウンドを何周も走らされていた。
 私は食べかけのハンバーグを頬張り、最後に煉獄先生からもらったたくあんを口に入れた。ぽりぽり、という食感が心地いい。視線を感じて横を向くと、煉獄先生が箸を止めてこちらを見ていた。どう反応していいか分からず、ぽりぽりと咀嚼を続けていると、煉獄先生は口角をきゅっと上げた。
 先に席を立っていた玄弥に「」と促され、慌てて立ち上がる。

「君の好物はハンバーガーなんだな。しっかり覚えておく」

 赤い瞳が真っ直ぐに私を捉えていた。吸い込まれてしまいそうだと思い目を逸らすと、隣で玄弥が急かすように「もう行くぞ」と言った。
 お盆を手に持ち、先生たちにぺこりと頭を下げると、逃げるようにその場を離れた。





(2021.07.17)