――あなたを一人にはしません。
 だからお願い、諦めないで。
 生きてください、風柱さま。



05.嘘じゃない



 実弥はパーキングに車を停め、道路を渡ってすぐのコンビニへと入っていく。余所見することなく、まっすぐにアイスコーナーへと向かい、次々に商品をカゴへ入れる。
 そうして手早く会計を済ませて店を出ると、首を鳴らしながらコンビニ横の道を歩いて行く。「不死川」と表札が掲げられた平屋建ての一軒家の前で足を止め、ポケットから鍵を取り出してドアに差し込む。が、何かに気づき顔をしかめると、鍵を引き抜き、そのままドアを開けるのだった。

「おいおい、まァた鍵掛け忘れてんぞ」

 ドアが閉まる音に、リビングから顔を覗かせた母の志津は「あら実弥?」と目を丸くする。

「尻叩きに来たァ。どうせあいつのことだから、まだ荷造り終わってねえんだろ」

 子ども用のスニーカーやサンダルなどがひしめき合う中で、スペースを開けながら靴を脱ぐ実弥。

「……やけに賑やかだなァ」

 リビングから聞こえてくる笑い声。不思議そうに言う実弥に、

「今ねぇ、玄弥を見送る会をやってるんよ」

と、志津が手招きをする。
 玄弥は明日、実弥の家へ引っ越す予定だった。と言ってもそこまで離れた場所ではないので、ひとまずは必要最低限の物だけ持って来いと伝えていた。
 それでもきっとまだ支度は済んでいないだろうと、面倒なことは後回しにする癖がある弟の様子を見るため、実家へ立ち寄ったのだった。

「なんだァそれ。大袈裟なんだよ」

 口ではそう言いつつも、妹や弟たちが提案したのだろうと、口元に笑みを浮かべる。

「実弥、ほらほら。今日はゲストがねぇ」

 そうして実弥は、母に誘われるままにリビングへと入る。――途端に、目を見開いた。

ちゃんが来てくれてるんよ」

 食卓の中央に座る玄弥の隣には、同じく目を大きく開いてこちらを見るがいた。

「こん、ばんは……」

 驚きと緊張で口をぱくぱくとさせるの横で、玄弥は「兄貴!」と顔を綻ばせる。他の兄弟たちも、「兄ちゃん!」と目を輝かせた。

「どうしたんだよ? おはぎ食いに帰って来たとか?」

 玄弥が笑うそばで、志津が大皿を持って現れる。そこには、おはぎがたんまりと積まれていた。

「じつは母ちゃんねぇ、実弥も来るんじゃないかと思ってたんよ。だからたくさん作っちゃってね」

 母は、何か祝い事があると決まっておはぎを作る。一番最初の記憶は、玄弥を身ごもった時だ。「実弥はお兄ちゃんになるんよ」という母の笑顔と、甘い甘いおはぎの味。
 「兄ちゃんここ座りなよ」と寿美に促されるまま、実弥は玄弥の隣に座った。

「これ後で食え」

 実弥が寿美に差し出したコンビニの袋を、横から覗き込んだ貞子が「またアイス? 兄ちゃんいっつもこればっかり」とむくれる。それに対して玄弥が「まずはお礼だろ」と叱り、志津が「冷凍庫に入れておいで」となだめる。
 その隣で、は唇を結び、両手を膝の上に置いて目を泳がせている。まさか実弥が来るとは思っていなかったのだろう。
 実弥は緊張で身を小さくするを一瞥したのち、玄弥の頭にコツンと拳を乗せる。

「荷造りはァ」
「……あ、えっと、まだ終わってない」
「だろうと思って手伝いに来たんだよ」

 ため息をつく実弥に、玄弥は「ごめん」と言いつつ嬉しそうな顔をしていた。

「まあまあ、ひとまずおはぎでも食べて。ね? ちゃんも遠慮しないでたくさん食べてよねぇ」

 志津の言葉で、次々に皿へと手が伸び、おはぎの山が崩れていく。も遠慮がちに一つ取ると、「いただきます」と口に含む。

さ、それ食い終わったら手貸してくんねえか?」
「おい玄弥、テメェは一人で荷造りもできねェのか」
「いやだって今日はが手伝うって――」
「あらぁ、ちゃん?」

 志津の言葉で、実弥と玄弥はへと目をやる。そこではが、おはぎを手にぽろぽろと涙をこぼしていた。
 途端に玄弥は慌て、実弥は目を細める。自身も、抑えきれない涙に戸惑っている様子だった。

「どうしたんよ、そんなに泣いて」

 の肩に手を置き、その涙をティッシュで拭いながら志津が優しく声を掛ける。
 は涙に濡れる目で一瞬、実弥を見た。しかしすぐに視線を逸らし、ただ「すみません」と繰り返す。そんなの頭を撫で、

「大丈夫。きっと全部、大丈夫やからね」

と、微笑みながら言う志津。
 何のことだよ母ちゃん、と首を傾げる玄弥に、志津は首をかすかに横へ振った。は目に涙を浮かべたまま、唇を噛み締め、こくりと頷くのだった。



 は寝室で玄弥の衣類を畳み、実弥はこの際だと言って不要なものをゴミ袋にまとめていた。すると玄弥が「ちょっと下着まとめてくる」と出て行ったので、部屋にはと実弥の二人が残された。
 ゴミ袋の擦れる音だけが響く中で、は緊張で息が浅くなっていくのを感じていた。
 ――不死川先生と二人きりの空間だなんて、初めてだ。実家に帰ったら生徒が上がり込んでいて、挙句、お母さん手製のおはぎを食べて泣かれるなんて、とてもじゃないけど気分が悪いだろう。泣いてる間も、怖い目で睨んできたし……。
 早く戻って来てよ玄弥、と念じながら、黙々とジャージを畳む。

「お前大丈夫か」
「えっ、あ、さっきはごめんなさい、いきなり泣いてしまいまして!」

 突然話し掛けられ、反射的に頭をぺこぺこと下げながら早口で謝ってしまう。そんなに、実弥は眉根を寄せる。
 自分でもなぜ涙が出ているのか分からなかった。どうしようもないほどの懐かしさが込み上げたのだ。
 ――おはぎに思い出なんてないはずなのに、なんで。
 謝り続けるに、実弥は「それはいい」と短く返す。

「……学校で嫌なこととかねぇか」

 実弥は、ガラクタやぼろぼろの衣類が詰まったゴミ袋の口を結びながら訊く。
 は首を傾げつつ、

「えっと、嫌なこと、は……ないです」
「なんか困ったこととか」
「――困った、こと……」

 途端に先日の一件を思い出し、は俯いた。
 杏寿郎に抱き締められたときに感じたぬくもりや、鼓動。それらの感覚が蘇ってくる。
 視線を感じて顔を上げると、実弥がこちらをまっすぐに見つめていた。まともに顔を合わせたのは、これが初めてだった。

「もしなんかあったら……」

 実弥はそこで言葉を切り、視線を逸らす。そうしてゴミ袋を持ち上げ、

「悲鳴嶼先生に言え。担任だろォ」

とだけ言い残すと、寝室から出て行くのだった。
 ―――なんで、そんなこと訊くんだろう。何か心配してくれているのだろうか。でも、どうして。不死川先生とは数学の授業以外、ほとんど関わりがないのに。
 ぼんやりと考えていると、玄弥が戻ってきた。

「なにボケッとした顔してんだ」

 不意に伸ばされた手に、の体はびくりと跳ねた。
 玄弥はの両頬を摘まむと、横に引き伸ばす。

「シャッキリしろよ。おら、おら」
「いひゃい!」

 声を出して笑いはじめた玄弥の手を払い、

「もう! 痛いよ!」

と唇を尖らせたは、玄弥の方へ両腕を伸ばすと、仕返しと言わんばかりにその頬を摘む。しかし、頬の肉が少ないので思うように引き伸ばせない。

「ばーか。お前と俺とじゃ肉の量が違ぇんだっての」

 悔しそうに眉根を寄せたは、人差し指を玄弥の鼻先に当て、ぐっと押し上げた。ズルいぞ、と抵抗する玄弥に、は「こぶた玄弥ちゃん」と声を漏らしながら笑う。
 玄弥はの手首を掴み、鼻から離す。そうして、笑い続けるに、

「お前はそうやって笑っとけ」

と、ぼそりと呟くように言うのだった。
 「ん?」と首を傾げるに「なんにも」と顔を背けると、玄弥は荷造りを再開する。
 服をバッグに押し込んでいく玄弥。その横顔をじっと見つめながら、はおもむろに訊いた。

「玄弥ってさ、好きな子とかいる?」

 ぴたりと静止した玄弥に、は一歩膝を進めて近寄る。
 
「いない、よね……? そんな話聞いたことないもん。えっ、うそ、いる? なんで教えてくんなかったの? 隠し事はなしだって約束したじゃん!」
「いねぇよ! 一人で話進めんな!」

 次第にヒートアップしていったを押さえつけるように、玄弥は半ば怒鳴るようにそう言った。しかしその顔は紅潮している。そうして、の視線から逃れるようにして俯いた。

「ンだよ、いきなり……」

 ぶつぶつ呟きながら、靴下やジャージをバッグに入れていく。そんな玄弥の隣で、は静かに頷いた。

「そっか。分かった」
「……は?」
「ちょっと気になっただけ。ごめんね突然」

 それ以上何も話さなくなった。玄弥は眉をひそめつつも追及はしなかった。
 そうして玄弥は、ぱんぱんに膨らんだバッグのファスナーを閉める作業に、無理やり集中するのだった。






 チャイムが鳴る中、杏寿郎は教科書を閉じながら声を張った。

「すまないが、日直は課題を集めて職員室まで持って来てくれ!」

 途端には顔をこわばらせ、黒板に目を向ける。日直欄には「」の文字。恐る恐る視線を横にずらし、教室を出ようとする杏寿郎の背を追う。
 すると、不意に立ち止まった杏寿郎が振り返り、の方を見た。口角をきゅっと上げたと思えば、すぐに視線を外し、教室から出て行く。
 は脱力したように机へ突っ伏すと、うう、と小さく唸った。自分の鼓動がうるさくて、胸を拳で叩く。

さん、大丈夫?」

 その声に顔を上げると、心配そうに眉を垂らした炭治郎が立っていた。

「体調が悪ければ代わりに集めるよ、課題」
「あ、いや、大丈夫! ごめんね竈門くん、ありがとう」

 は弾かれるように立ち上がると、「課題こっちに持ってきてくださーい」と教室全体へ呼び掛けた。



 ノートを抱えて教室を出たは、重い足取りで階段を下りていく。
 踊り場の窓からは校庭が見える。そこでは、ふと足を止めた。
 体育の授業を終えた生徒たちが、汗を拭きながら校舎へ向かっている。その中に玄弥の姿を見つけたのだ。
 ――煉獄先生とは、できれば関わりたくない。
 まだあの日のことを自分の中で消化しきれていなかったから。玄弥と付き合っていると苦し紛れの嘘をついた手前、言葉を交わすことでそれを見破られそうで、怖かったから。

「嘘なんだろう」

 びくりと肩を震わせた。両手で支えていたノートの山がバランスを崩し、乾いた音を立てながら滑り落ちていく。

「れ、煉獄、先生……」

 がおずおずと振り向くと、そこでは杏寿郎が階段を下りてくるところだった。
 の足元で膝を折ると、踊り場に散乱したノートを拾い集める。も唇を噛み締めたのち、床に膝を突く。そうして、手近に落ちていたノートを拾い上げる。

「不死川少年と付き合っていると言ったこと。あれは、嘘だな」

 杏寿郎は呆然とするの手からノートを取ると、自らの腕に重ねていく。

「ここ数日君たちの様子をうかがっていたが、恋人同士には見えなかった」

 その言葉に、は勢いよく立ち上がる。

「……嘘じゃないです」

 口元に笑みを浮かべていた杏寿郎は、がそう呟くと表情を消した。

「本当に、なります……!」

 そう言い残すと、は脱兎のごとく階段を駆け下り、そのまま校庭へと飛び出す。
 そうして同級生と談笑しながら歩いている玄弥を見つけると、

「玄弥!」

 驚く玄弥に構わず、その腕を引っ張って走る。
 校舎裏の人気のない場所まで来るとようやく立ち止まり、呼吸を整えようと胸元に手を当て、その場にしゃがみ込むのだった。

「どうしたんだよ。お前そんな、上履きのまんまで」

 玄弥は心配そうな表情を浮かべ、に寄り添うように隣へしゃがむ。

「最近おかしいぞ。こないだも家でいきなり泣き出したり……なんかあったのかよ?」

 は玄弥の問いに答えず、ただ黙っている。
 不意に鳴り始めた予鈴に、玄弥は顔を上げ、校舎の方を見やる。

「おい、そろそろ――」
「ねえ」

 立ち上がろうとした玄弥。その体育着の裾をつんと引き、は言った。

「私たち、付き合ってるってことにしてくれないかな」

 まっすぐに見上げるの瞳は、どこか揺れていた。

「――は?」

 玄弥の間の抜けた声に、は唇を結ぶ。そうして掴んでいた裾から手を離し、体を小さく丸めて地面の石ころをいじり始めた。
 
「なんだそれ。彼氏のフリしろってわけか?」
「……やっぱ、だめだよね」
「なんでそんなことすんだよ」

 眉をひそめる玄弥に、は押し黙ったまま石を触り続ける。

。隠し事はなしって約束だろーが」

 それでも答えは返ってこない。
 玄弥はギリッと唇を噛んだ。そうしての正面にしゃがむと、

「断る」

 きっぱりとそう言った。
 玄弥の言葉に、は俯き加減のまま「そうだよね」と力なく笑う。

「フリなら、断るからな」
「……え?」

 咄嗟に、は玄弥の顔を見上げた。

「普通に付き合うのじゃあ、だめなのかよ」

 玄弥はそう言った後、唇を閉じ合わせてもごもごと動かす。耳まで真っ赤に染め、眉間に皺を寄せて視線を左右に泳がせている。
 「なんか言えよ」と声を掛けられるまで、は目を丸くし、口をぽかんと開け放っていた。

「……お願い、します」






「ねえ煉獄先生、入るの? 入らないの?」
「授業やらないのー?」

 そんな不服そうな声が教室内から上がる。杏寿郎はドアに手を掛けたまま教室には入らず、瞬きを忘れたようにして廊下の向こうを見つめていた。
 そこには、本鈴が鳴り響く廊下を、手を繋いで走っていく玄弥との姿があった。





(2021.08.12)