それは、うだるような暑い夏の日だった。青々とした稲が、昇ったばかりの陽の光を浴びて、その身をいっそう輝かせている。
 実弥は左腕に巻いた包帯へ視線をやり、じんわりと血が滲むその様に舌を打つ。朝だというのに容赦なく降り注ぐ日差しに目を細めつつ、少し先を飛んでいた鎹鴉に「おい」と声を掛ける。

「案内を頼めるかァ。ここから一番近い藤の家へ」



 そこは実弥がこれまで立ち寄った藤の花の家紋の家の中でも、一等立派な屋敷だった。かたく閉ざされた重厚な門が開くと、中から女中と思われる女が「お待ちしておりました鬼狩りさま」と招き入れる。
 屋敷へ入ると、何人もの女中が実弥を取り囲むようにして世話を焼く。少しむず痒い気持ちになりながらも、勧められるがままに風呂と食事を済ませた頃には、陽はすっかり高く昇り、暑さも増していた。

 血を使いすぎたせいか、暑さのせいか、軽い目眩を覚えた実弥は、きちんと支度された布団へと倒れるように身を横たえた。
 鬼殺隊に入ってから、いくつもの朝を迎えてきた。それでも安堵することなど一度もなかった。朝日を睨み上げながら、これまで自分の手からこぼれ落ちていったものを思う。そうして胸にこみ上げてくるのは、到底拭い去ることなどできない、深い憎しみ――。
 実弥は身を反転させ、天井を仰いだ。そうして右腕で目元を覆うようにして、細く長い息を吐いた。意識がだんだんと、遠のいていく。


――こっちにおいで、ジャリガキ。


 ハッと目を覚ますと、実弥は身を起こして辺りを見渡す。
 そうして、首に滲む汗を拭いながら布団から抜け出ると、部屋の障子を開ける。空では陽が傾きかけており、随分と長く寝てしまったことを知る。

「……たるんでやがるな」

 そうひとりごちると、浴衣を脱ぐ。任務までまだ時間がある。その間、場所を借りて素振りでもしよう。そう思ったのだった。

 この屋敷には人が多かったが、実弥が部屋から出たときには、ちょうど誰の姿もなかった。気づかれるとあれこれと世話を焼かれてしまう。休息を求めて藤の家を使わせてもらうのだが、気を回されすぎるのも心地が悪いので、誰にも気配を悟られぬよう実弥は抜き足で外へと出た。

 隅々まで手の行き届いた庭を見て、ここで刀を振るのも気が引けると思った実弥は、屋敷の裏手へと回った。
 そこには林があり、細い道が伸びていた。しかしその道の始まりには柵が置かれており、人が立ち入れないようにしている様子だった。
 実弥は柵に手を置き、道の向こうを見る。陽光もあまり届かず、薄暗い。
 なぜ柵で封じているのだろうか。いくら広大な敷地を持つ屋敷とはいえ、この林だってそう奥深くはないはずだ。本当に必要のない道であれば木で覆い潰したって構わないだろうに、なぜわざわざ柵なんか。

「……なんか隠してやがるのかァ?」

 以前、鬼になった子どもを囲っている家があった。もしこの家もそうだとしたら、藤の家紋を外してもらうことになる。余計な詮索かもしれないが、万一のことを考えると、見て見ぬふりもできない。
 実弥は柵を持ち上げ、道の脇へと寄せた。そうして林の中へと進んでいく。

 木に囲まれた薄暗い場所に、小さな蔵があった。この屋敷の門よりもさらに分厚いその扉には、外側から錠が掛けられている。
 見たところ、人が暮らせるような建物ではない。ひっそりと静まり返っていて、人の声も、鬼の唸り声も聞こえない。
 ただの蔵だ。そう思い、元来た道を戻ろうとしたときだった。
 蔵の格子窓から、腕が出てきたのだ。それはほっそりとした、青白い腕。そしてその手には、赤い風車が握られていた。
 ゆるゆると回る風車に焦点を当てたまま、実弥は格子窓へと近づいていく。そうして中を覗き込むと、風車を持つ手がびくりと跳ねた。腕や指の感じからして女だということは分かっていた。しかし中は暗く、風車もろともその女はすぐに蔵の奥へと引っ込んでしまったので、顔を窺い知ることができない。

「お前、ここで何してんだァ? この屋敷の人間か?」

 そう問うと、しんと静まり返った。
 なんなんだ、こいつ。眉間に皺を寄せていると、実弥の鴉が飛んで来て、伝令、至急と鳴く。

「あァ、分かった。すぐに向かう」

 肩に乗った鴉へ視線を向けてそう返すと、ふと気配を感じた。そうして格子窓を見ると、薄暗い蔵の中から女が顔を覗かせていた。女というよりは、まだあどけなさの残る十六、七ほどの少女だ。
 ――似てる。
 どこか戸惑った様子でこちらを見る少女に、目を見開く実弥。

 ――あんたの母ちゃんは幸せもんだねえ。

 耳に蘇る声に重ねるように、実弥は言う。

「お前、誰だ?」

 しかし少女は口を開くも、声が出ない様子だった。
 ――いや、そんなはずはない。他人の空似だ。
 実弥は脳裏によぎった思いを打ち消すかのように、格子窓に頭を打ちつけた。その様子に驚いたのか、少女は再び蔵の奥へと身を引いた。
 肩に乗る鴉が鳴く。それに「うるせェ」と語気を強める。
 実弥は少し待ったが、もう少女がこちらへ顔を出す気配がないことを察すると、その場を去るのだった。


 出立する実弥を見送るため、屋敷の夫人が門まで出て来た。「ご武運を」と頭を下げる夫人に、実弥は腰に刀を差し込みながら静かに訊く。

「裏手に離れがあるなァ。あそこいる女は誰だ?」

 一瞬、夫人は目を見開いた。しかしすぐに貼り付けたような笑みを浮かべて、「使用人が立ち入っていたのでしょう」と返す。

「風柱さま、またいつでもお越しください。ただし、もうあの蔵には近寄ってくださいますな。壁が脆く、いつ崩れてもおかしくないですから」

 それは、有無を言わせぬような圧を孕んだ声色だった。
 せっつくように鳴く鴉へ舌を打ちつつ、薄気味の悪い笑みを携える夫人を一瞥し、

「世話になったな」

 そう告げると、実弥は青田広がる田舎道へと駆け出すのだった。






(2021.05.30)