「ああ、鬼狩りさま。何故このようなところへ? 道に迷われ――」
「ここにいる女は、罪でも犯したのかァ」

 その言葉に狼狽えた様子の男は、不意に実弥へ背を向けた。その瞬間、実弥は目にも留まらぬ速さで男の元へと移動し、錠を掛けようとするその手首を掴む。すると男はヒッと声を上げた。

「こ、ここには肺を患っている娘がおりますゆえ、どうかお近づきにならぬよう。鬼狩りさまに移しなどしたら……」

 男は実弥の刺すような視線から逃れるように、目を左右に泳がせながら早口でそう言った。
 格子窓の方へと目を走らせた実弥は、そこに落ちている赤い風車に気づく。それはあの少女が大事そうに握っていたものだ。
 実弥は男の手首を離し、格子窓の方へと向かう。背後でガチャ、という金属音がして振り返ると、そこでは男が扉に錠を掛けたようだった。実弥を見やったその口には、薄ら笑みが浮かんでいる。

「テメェはそこを動くな」

 そう凄まれた男の顔からは笑いが消え、提灯を片手にその場に凍りついた。
 実弥は風車を拾い上げると、格子窓の向こうへと声を掛ける。

「おい。落としてやがるぞ、風車」

 反応が返ってくることを祈った。力を無くしたように伸びていたあの足を思い起こしつつ、実弥は窓の向こうに広がる闇を見つめ続ける。
 そうして物音がしたと思えば、腕はすぐに伸びて来た。その手は真っ直ぐに風車へと向かう。

「こ、壊れて――」
「心配すんなァ。壊れてねェよ」

 少女の顔が月明かりに照らし出される。風車を手にした少女は、安堵したように笑った。しかしその頬には痣があり、唇は切れて血が滲み、瞼は腫れていた。
 実弥は扉の前で立ち尽くす男を一瞥したのち、少女の顔を正面から捉える。そうして、ゆっくりと口を開く。

「お前は労咳なのかァ?」
「……え?」
「鬼狩りさま!」

 男が声を上げてこちらへ駆け寄ってくる。それに構わず、実弥は続ける。

「だからここに閉じ込められてんのか」
「……いえ、違い、ます…私は――」

 男が実弥の腕を掴んだ。その拳は、所々が赤く擦り切れていた。

「この蔵には近づかないでほしいと、母も再三申し上げたはずです! これ以上勝手なことをされるのであれば、産屋敷様に――」
「あァ? テメェごときがお館様の名を口にするんじゃねェぞ」

 実弥が腕を払うと、男の手は呆気なく振り解かれた。そうして今度は実弥が男の腕を掴み、視線の高さまで持ち上げる。

「この手は何だァ? この女はなんで顔を腫らしてる?」
「……これは――」
「殴ったな。違うかァ」

 それは胸に深く沈み込むような声だった。
 男は実弥の手を振り払う。掴まれていた部分には実弥の手の痕が赤く残っており、男はそれをごしごしと擦りながら歯軋りをしている。

「邪魔をするな。気安くこの子を見るんじゃない。話し掛けるんじゃない。血に塗れた鬼狩りごときが」

 ぼそぼそと早口で呟く男のその顔は、醜く歪んでいた。実弥は目を細めながら、冷ややかにその様を見下ろす。

「……け、て…」

 風が吹いた。生ぬるい風だ。その風に乗って、かすかな声がした。
 格子窓から顔を覗かせた少女が、涙に埋もれる目で必死に実弥を捉えていた。

「た、すけ……助けて…くだ、さい……!」

 一瞬、実弥は視界がぐらりと揺れるような感覚に陥った。少女の目が、強く強く訴えかけている。どこかで見たような、あの目が。
 ぱきん、と小枝が踏まれ折れる音がして、実弥はその方へ視線を走らせる。

「――誰に助けを乞うているんだ? いつだって救ってやったじゃないか。父の慰み者になりそうだったのを、僕が。嫉妬に狂った母の虐めから、僕が」

 瞳孔を開いた男がそう呟きながら、格子窓の少女へと近づいていた。

「今度は鬼狩りに取り入るのか? 本当にお前は、父をたぶらかしたあの女にそっくりだ。そうやってすぐ、男に色目を使う」

 その言葉に、少女は目をかたく瞑る。涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。

「僕だけを見ていればいい。そうしたら救ってやるから。生かしてやるから。お前みたいな薄汚い妾の娘を。本当は生まれてくるべきじゃなかった、お前を」

 少女はゆっくりと目を開く。その顔には、恐怖も悲しみもない。そこにあるのは、無だった――。
 ぐぅ、と男の声が漏れる。実弥がその太い首を掴み上げていたのだ。男の足は地面から浮き上がり、口の端からは唾液が垂れ落ちている。

「分かるよなァおい。俺の言いてェことが」
「はッ、は、ひ……?」

 実弥が手を離すと、男はその場に倒れた。そうして実弥はその体を蹴飛ばすようにして馬乗りになると、男の懐に手を突っ込む。「やめろ!」と抵抗する男だったが、実弥の手は確かに蔵の鍵を掴み取った。


 蔵の中は灯り一つなく、月明かりだけが頼りだった。
 少女は格子窓の前で、壁に背をもたれるようにして座り込んでいた。その着物は乱れ、傍らの布団には鮮血が滲んでいる。

「立てるか」

 そう問うと、少女はふらふらと立ち上がった。体の丈に合っていない、その短い裾の間から見える白い足には、血が伝い落ちた跡があった。実弥はその意味を理解し、拳を握り締める。

「こんなクソみてぇな場所には戻らせねェ。持って行くもんがあれば早くまとめろォ」

 少女は片手に風車だけを握り、

「これ、だけ、です……私のもの」

 細い声でそう言うと、実弥の元へ一歩踏み出す。しかし、その体はぐらりとよろめいた。すかさず実弥が抱き止めると、少女は「ごめんなさい」と力なく言った。

「おい離せ触るな! それは僕のだ!」

 男が喚く声がする。実弥は少女の肩を抱いたまま、首だけを男へと向けた。実弥の顔を見た途端に、男は口を開け放したまま声を失った。

「寄るな。ブチ殺すぞ」

 そうして実弥は少女を背負い、震え上がる男を蔵に残して、藤の家を出るのだった。



「お前、名は」

 夏の夜の虫がそこら中で鳴いている。蛍舞う田舎道を駆けながら、実弥は背中に問いかけた。

「わ、私……、です」

 その名を聞いた途端、実弥の走る速度が落ちた。

 ――? ああ、もしかして……いやそんなことは、ない。こんなところで一人でいるはずがない。俺の記憶にある""は、いつもあの母親といた。今もどこかで親子一緒に――。

 遠慮がちに首元へ回された細い腕。その手に握られた赤い風車を見下ろしながら、実弥は言う。

「俺は不死川だ」
「しなず、がわさん……」

 小さな息を吐き、はそのまま気を失った。その指先から風車が落ちそうになるのを、実弥はなんとか片手で受け止めた。そうして風車の柄を腰のベルトに差し込むと、走る足を早める。
 巻き起こる風を受けた風車が、くるくると回りはじめた。






(2021.06.04)