実弥が家の中をひとしきり案内し終えると、は「広いお屋敷ですね」と息を吐きながら言った。圧倒されているかのようなその様子を横目に見ながら、

「お前の部屋はこっちだァ」

 そう言うと、は「えっ」と目を丸くする。

「私の、部屋……?」
「その辺で雑魚寝させるわけにもいかねェだろォ」
「そ、それでも構わないのです。このお茶の間の隅でも――」
「部屋は有り余ってんだよ。妙なとこで遠慮すんなァ」

 実弥は背を向けると、の風呂敷包みを両手に携え、廊下を進んでいく。
 もその後に続き、

「妙な……ところ?」

と、語尾を上げた。
 実弥は歩みを止めず、ため息混じりに答える。

「気にすんなら部屋云々じゃなく、別のところだろォが」
「別、とは?」
「この状況だァ。普通に考えて、独り身の野郎の家に女が棲むなんざ」

 後をついて来る足音が止み、実弥は言葉を切って振り向く。そこではが驚いたように目を開いていた。

「男、女で考えていませんでした。不死川さんのことを、そういうふうには……考えて、いなくて」
「――怖いとは思わねェのか」

 だってお前、あの屋敷の長男に。その言葉は呑んだ。「記憶に蓋を」という胡蝶の声が耳に蘇ったからだ。

「怖い? そんなこと、思いませんよ」

 は首を微かに左に傾け、どうしてそんなことを訊くのだろう、とでもいうような顔をしていた。しかしすぐに口元に指をあてがい、考え込むように視線を下げる。

「……でも、そうですよね。周りから見ればこの状況は――ふしだら、なのでしょうか」

 俯き加減で見上げたは、後ろ首を掻きながら押し黙る実弥に、申し訳なさそうに眉を下げる。

「すみません、ご迷惑ばかり掛けて。私はただ……一人より二人の方が、いいだろうかと…思って」

 ああ、やっぱり。実弥は、が蝶屋敷ではなくここで暮らすことを望んでいると聞いたとき、おそらく自らの姿に重ね合わせているのだろうと思った。暗い蔵の中で、一人きりで生きてきた自分と。

「俺は一人で構わねェ。お前とは違う。テメェの考え押し付けてんじゃねえぞォ」

 まずい、と瞬間的に思ったのは、の顔から表情が消えたように見えたからだ。

「ごめん、なさい……」

 ――違う、本心はそこじゃない。昼も夜も共に過ごせる、そんな同性のやつらがいる蝶屋敷の方が、こいつにとって良いはず。そう思っただけだ。
 実弥は舌打ちをし、から視線を外す。そうして、角を曲がってすぐの障子を開け、

「この部屋だァ」

 少し遅れてやって来たは、部屋の中を覗くと、わあ、と声を漏らす。
 中庭をのぞむその部屋には、日差しがたっぷりと差し込んでいる。部屋の隅には蒲団一式がきちんと整えて置かれており、箪笥や鏡台なども揃えてあった。それに、真新しい畳の香りも。

「もしかして……畳を新しくしてくださったのですか?」
「……まあ、一応なァ」

 風柱となった際に与えられたこの邸宅は、代々の柱たちが使ってきたのだろう。至るところに年数を感じさせるものがあったが、特に不便もなく、家の中で長く過ごすこともないのでそのままにしてきた。
 しかしが来るとなるとそうもいかないだろうと、実弥は調度品や畳の張り替え、そのほか傷んだ箇所の補修など、さまざまな手配を済ませていたのだった。
 「ありがとうございます」と深く頭を下げるに、「別に」と返す実弥。

「あの私っ、早く働き口を見つけて、お部屋代や食費など……毎月しっかり、お納めしますので」
「なんだァそれ。いらねえ」

 の荷物を置いた実弥は、部屋を出ると廊下をずんずんと進んでいく。その後を慌てて追うが「でも、あのっ」と声を掛けるが、実弥は振り向かない。

「いらねェっつってんだろ」
「そ、それでは私の気が収まりません」
「知らねえ」
「いっ、いえ、だめです。ただでさえ勝手を言ってご厄介になるんですから……」
「本当に勝手だテメェは。胡蝶の屋敷にいた方が何百倍もいいだろうによォ」
「そんな、こと――」

 実弥はそこで、ぴたりと足を止める。は立ち止まりきれず、その背中に思いきり顔面をぶつけた。

「俺は夜の間、ここにはいねえ。帰りはだいたい明け方だァ」

 実弥は振り向き、打った鼻を押さえているを見下ろす。
 
「一人きりになるぞ、夜。それでも構わねェんだなァ?」

 がその言葉に返そうと息を吸ったとき、その鼻から垂れた一筋の血に、実弥は目を見開く。

「おい鼻血ッ!」

 は指先についた鮮血を確認すると、実弥とは反対に、落ち着き払った調子で言う。

「鼻をぶつけたからですね。大丈夫です、慣れてますので」

 そうして懐から懐紙を取り出し、鼻に当てて血を拭い始めた。
 慣れているとは、おそらく蔵の中で虐げられた日々の中で、ということだろう。そう察した実弥はそれ以上何も言えなかった。
 ただを茶の間へ案内して座らせると、洗ったばかりの手拭いを取ってきて、「これ使え」と渡すのだった。
 は鼻の付け根を押さえ、もう片方の手で血を拭う。実弥は落ち着かない様子で、ポケットに手を突っ込んだままうろうろと歩き回る。

「けれど、帰って来るんですよね」

 は、と間の抜けた声を出した実弥を、は見上げる。

「朝になったら。不死川さんはこのお家に、帰っていらっしゃるんですよね」

 いつ死ぬとも知れない身なのだ。帰って来られる保証なんてない。実弥は咄嗟に、そんな言葉を呑み込んだ。が望みを込めたような目をしていたからだ。

「――あァ」

 実弥の返事に、は心の底から安堵したように笑った。

「大丈夫です。お待ち、してます」

 その表情に、実弥は首を掻く。
 そうして座卓を挟んでの向かいにどっかりと座ると、

「待つんじゃねえ。お前は普通に寝てろォ」

 ぶっきらぼうにそう言った。は小さく笑いながら、「はい」と頷いた。
 実弥はそんなの様子を横目で見ながら、ぼそりと呟く。

「――迷惑なわけじゃねえ」
「え?」

 聞こえなかったのだろう。は首を傾げている。

「別に。で、血ィ止まったかァ?」
「あっ、はい。手拭いありがとうございました、すぐに洗いますので」
「いい。寄越せ」

 身を乗り出して、「でも」と言うから引ったくるようにして手拭いを取ると、実弥は立ち上がりながら言う。

「茶ァ持ってくる。お前は座ってろォ」



 陽が傾き、空に深い紺が混じる頃。
 支度を整えた実弥は、玄関口で草履に足を通していた。
 夏の陽は長い。茶の間でにお茶を出してから、もう何時が経つだろう。は「こんなにおいしいお茶は初めてです」と感激していた。それから荷解きをすると言って部屋へ引っ込み、今に至る。
 刀を腰に差し込んでいると、ぱたぱたという足音が聞こえてきて、実弥は振り返った。

「ご出立ですね」

 の首筋はしっとりと濡れている様子で、実弥はそれを一瞬見たのち、すぐに視線を逸らす。

「寝苦しかったか」

 えっ、と声を漏らしたは、咄嗟に髪を撫でつけた。

「寝起きだということ、そんなにすぐ分かってしまいますか……?」
「まァな」

 恥ずかしそうに唇を噛んだ。その耳は、ほんのりと赤く色づいていく。

「とても心地の良いお部屋で。畳の香りを嗅いでいるうちに、つい……うとうとと」
「別に構やァしねぇよ。昼寝しようが何しようが、自由に過ごせェ」

 は瞬きを忘れたようにして実弥を見つめる。実弥が「なんだよ」と怪訝そうに言うと、

「いえ、あの……自由に、なんて、なんだか壮大なお題だなあ、と」
「お題って。そんな難しく考える必要なんざねェよ」
「そうなのですか?」
「自分がやりてェと思ったことをやりゃあいいし、何もしたくねェと思ったら何もしなくていい。ただそんだけのことだろォ」

 「なるほど」と呟いたは、少しの間、眉根を微かに寄せて何か考え込んでいるようだった。そうして、ハッと顔を上げると、

「では私は、不死川さんが何と言おうと、お金は納めます」

 まっすぐにそう言った。実弥は予想していなかった言葉に面食らったが、それを隠すように背を向け、

「まだ言ってんのかよ。しつけェやつだな」

と、格子戸に手を掛ける。
 するとは、

「あっ、表までお見送りさせてください」

 慌てて下駄を履き、小走りで後を追ってくる。実弥は「付いて来んなァ」と素っ気なく言いつつも、歩く速度を落とすのだった。

「そういえば」
「今度はなんだよ」
「不死川さんの下のお名前は?」
「……ンなこと、なぜ訊く」
「え? なぜって、その、一緒に暮らしててお名前をきちんと知らないのも、と思いまして……」

 実弥は門の手前で立ち止まる。そうして振り返ると、同じく足を止めていたを見やった。一瞬、ためらうように視線を下げたのち、ゆっくりと口を開く。

「実弥」
「……さね、み――さん」

 実弥は、まるでの反応をうかがっているかのようだった。
 はこめかみに指を当て、わずかに顔を顰めた。それは、痛みを堪えるかのような表情だった。
 しかしその表情はすぐ元に戻り、

「実弥さん。きれいな響きですね」

と、朗らかに言うのだった。

「……メシ、台所にあるから適当に食え」

 そう告げると、実弥は踵を返し、門をくぐる。そうしてが瞬きする間に姿を消すのだった。



 台所からは、炊きたての白米や味噌汁の香りが漂っていた。それに吸い寄せられるようにして中へ入ったは、調理台の上に置かれた小ぶりの茶碗に目を留める。

「わあ、茶碗蒸し」

 それは、まだ温かかった。きっと自分が寝ている間に用意してくれたのだと察したは、唇をぎゅっと結ぶ。
 夕餉の支度から、おそらく明日の朝の仕込みまで済んでいる。それは何も今日だけ特別にという訳でもないようで、さまざまな調理器具が並ぶこの台所からも、普段から自炊していることがよく分かる。が血を拭った手拭いも、すでにきちんと洗われ、庭先で干されていた。
 は茶碗蒸しを両手で包み込むようにして、その温もりに目を閉じる。

「一人で生きていけるように、なってしまった人」

 そんな気がして、ならないのだった。






(2021.06.14)