寝坊してしまった。借りてきたある海外ドラマのDVDをはまって観続けていたせいで、寝たのは今日の明け方近く。こうなったら眠らずに学校に行こう、と決めていたのに、気づいたらリモコン片手によだれを垂らしていた。
 今は八時三十八分。朝礼は七分後に始まってしまう。遅刻は絶対にしたくなかった。担任がこの世の者とは思えないほど、恐ろしいからだ。頬にまるで鰓のような傷があり、目はいつも見開いていて、鋭い歯はもはや人間のものじゃない。そんな担任が新学期初日に気味の悪い笑みを浮かべながら「私、遅刻だけは許せないんですよねぇ」と言った。それまでほぼ毎日のように遅刻をしていた私も、この担任のお膝元で遅刻をすればそれ即ち死であることを悟り、今日まで一分たりとも朝礼に遅れたことはない。馬鹿だった。海外ドラマなんていうものは金曜の夜に観るものなのに。日曜の夜から観始めるなんて、私は何という自殺行為を。
 窓の外に流れる風景の中に担任の背筋が凍るような笑みを見ながら、電車もっと速く走れと心の中で呟いていると、ポケットの中で携帯電話が震えた。携帯を取り出し、首を傾げながら開く。


05/20 08:39
From うちはイタチ
Sb 今
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どこに居る?


 携帯を閉じた。うちはイタチも、朝から奴のメールを受信してしまうこの携帯も、何がしたいのか分からない。無かったことにしよう。無い無い、私の携帯はうちはイタチのメールなんて受信してない。
 ポケットに仕舞おうとすると、携帯は再び震えだした。メール受信を伝えるライトが点滅する。まるで「私を見て、私を見て」というようなそれに負け、苦々しい思いでメールボックスを開く。


05/20 08:40
From うちはイタチ
Sb 今
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どこに向かっている?


 ああ、この人にアドレスを教えた私がばかだった。こっちはこんなに焦っているのに、奴はきっと今ごろ教室で、机に片肘ついて暢気に携帯をいじっているんだ。朝礼まで後五分なのにまだ教室に着いていない私を時間つぶしにおちょくっているんだ。


05/20 08:41
To うちはイタチ
Sb Re:今
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学校!!


 どこに向かっているかって?決まってんじゃない馬鹿なの何なの愚かなの。怒りを込めてキーを打ち、この殺意も一緒に届けばいいのにと思いながら送信ボタンを押した。送信完了の文字が画面に映ると同時に、電車が駅に着いた。鞄を肩に掛けて勢いよく飛び出すと、改札口に向かって駆ける。あと四分で、担任が教室のドアに手を掛ける。もし朝礼に間に合わなかったら私の首に手を掛けられる。
 そのとき、まるで私の心のように、握り締めていた携帯がぶるぶると震えた。


05/20 08:43
From うちはイタチ
Sb (笑)
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やっぱりな。


 鬼鮫先生、こいつを殺ってください。
 私はたまらずイタチに電話をする。生意気に、三コール目で取った。『もしもし』という落ち着き払った声を待たず、私は怒鳴った。

「なに!ほんと何なのあんた!」
『今日は休みだぞ』
「……なに?」
『学校。先週の文化祭の代休日だ。やっぱり忘れていたか』

 電話の向こうに呆れたようなため息が聞こえた。走る足を止めて、先週の文化祭のことを思い返した。うちのクラスは模擬店で団子を売った。イタチが学級委員長の権力を行使して強引に決めたのだ。そのくせ当日は、「俺は毒味役だ。お客様の口に入るのだから、何かあってはいけないからな」と言って店舗の裏で団子を頬張るばかりで、調理も販売も何も手伝わなかった。そんなうちはイタチのむかっ腹の立つ記憶しかなく、今日がその文化祭の代休だなんて、まったく忘れていた。というかあの担任はいつそんな連絡したっけ、なんて口に出すだけでも恐ろしく言い出せなかった。

「なんで早く言わないのよ!もう学校着くじゃん!」
『今言ったじゃないか』
「どうせ私が電話してこなかったら言わないつもりだったんでしょう!」
『言うつもりだったさ。次の次ぐらいのメールで』
「ほんっとに嫌な奴!」

 腹が立つ。私が勘違いして学校に向かってることを知っててあんなメールを。メールのタイトルに「(笑)」が入っていたことを思い出し、唇を噛んだ。きっと電話の向こうで私を笑ってるんだ、悔しい悔しい悔しい!……いや、待てよ。もしかするとこれは罠かもしれない。本当は学校が休みなんて嘘なんじゃないか?もしかしてこの人、私が文化祭で誤って団子を五本落としてしまったことを恨んでいるんじゃないか?その仕返しを?
 途端に電話を切って、私は全力で駆けた。校門が見えてきて、そこには人影があった。ほらやっぱり学校あるじゃん!最悪だ、うちはイタチは陰湿だ。あいつがこんなことしなかったら私は明日の朝日を拝めたのに。担任は「遅刻“は”許さない」って言ってた。そうか、そうだ。じゃあいっそのこと休んでしまえば私は明日の朝日が拝める?とりあえずうちはイタチはこの世を去――

「……なんで居んのよ」

 女よりも艶やかな黒髪を揺らして、イタチは振り向いた。そうしての存在を認めると、ふっと笑った。

「泣きそうな顔をしているな。遅刻をすれば干柿に殺されるとでも思ったのか?」
「どうしてここに居るのかって訊いてるの!」

 とっくに朝礼は始まってる。腕時計に目を落としたイタチも、そんなこととっくに気づいてるはずなのに。イタチは平然と答えた。

「お前のような愚かなる生徒を温かく迎えようとボランティアをしているだけだ」
「迎えようとしてくれなくていいから!」
「“してやろう”という気持ちでボランティアをすることはナンセンスだ。ボランティアとはむしろ“させていただく”という思いでやらねば意味が――」
「もういいから!はやく中に……」

 はイタチから目を離し、その視線をそのまま校門へと流した。途端に目を丸くさせた彼女をよそに、イタチは向こうの角を曲がってこちらへ駆けてくる姿に目を細めた。

「……校門、閉まってる。本当に学校休みなんだ……」
「だから言っただろう」

 はしばらく目を見開いたままだったが、ようやく状況が呑み込めたのか大きなため息をついて門に寄りかかった。

「イタチ」
「何だ」
「うた……あっぶな」

 危なかった。安堵によって心が緩んだせいか、「疑ってごめん」と口を突いて出そうになった。謝るなんてとんでもない、どうかしてる。イタチは訝しげに、座り込むを見下ろした。

「はしたないぞ。地べたに座るな」
「はいはい」

 よっこらせ、とが腰を上げたとき。

「おはよー!」

 見ると、向こうから棒つきアメを咥えたデイダラが手を振りながらこちらへ向かってくる。無駄にかわいらしい。立ち止まる際には無駄にジャンプをして、「とうっ!」ととイタチの間に着地した。すべてが無駄だが、それがデイダラだった。

「なーに突っ立てんだよ、うん?」

 アメを口から出して首を傾げながらとイタチの顔を交互に見ると、ああ!と納得したように手を打った。
 
「二人も遅刻か?おいらは夜遅くまでゲームしててさー、寝坊しちゃったんだよなあ。鬼鮫に殺られるかな?」

 あははー、と笑うその無駄な陽気さが、はむしろ羨ましく思えた。笑いながら校門に目をやったデイダラは、これも無駄にオーバーな反応を見せた。

「あれェェ!校門閉まってるじゃん!」

 門を掴んだデイダラは、鍵をガシャガシャと鳴らし始める。

「開けてくれー!」
「ちょ、デイダラ、今日学校――」
「おーっす」

 きつい香水の匂いに思わずくしゃみが出そうになった。振り返ると、薄っぺらの鞄を脇に挟んだ飛段が首を鳴らしながらやって来たところだった。

「何やってんだ?」

 そう言ってイタチ、デイダラ、の順に目を配ると彼はにやりと笑んだ。

「もしかして三角関係の泥沼会議中か?ませやがって、このこの!」
「どう見ても違うでしょ。ちゃんと目ー付いてんの」

 イタチの腕に肘をぐりぐりと当てて愉快そうに言う飛段にが言い捨てると、ひゅうっと口笛を吹いた。

「お前も罪な女だなァおい。どうだ、ここはいっそのこと俺にしとくか?俺のテクニックでお前を満足させてやるよ」
「くたばってしまえばいい」

 げははは、と笑う飛段はデイダラのときと同じように、校門を見やると首をかしげた。

「あ?何で門閉まってんだよ」
「いや、だから……」

 が口を開くと、デイダラが再び鍵を壊そうと無茶苦茶にいじり出した。すると飛段も近寄ってきて門を力任せに蹴る。

「遅刻したぐらいで締め出すこたァねーだろ!」
「もう遅刻しないから開けてくれよー!」
「だから話を聞いてってば!」

 校門の前で騒ぐ三人の後姿を見ながら、ついにイタチは堪えきれずに笑った。

「おはよう。愚かなる生徒たちよ」






(2009.10.4)