どうしようもなく寒い日に限って、どうしようもなく末端が冷えやすいくせに手袋を忘れてしまった、そんなどうしようもない私。吐息を吹きかけてみるけれど、息継ぎをするときに流れ込んでくる鋭い冷気に肺が恐れ慄いてしまい、あえなく断念した。ポケットに手を突っ込んでみても、何日か前から入れっぱなしにしていたカイロが冷えピタ並みの冷たさを帯びた物体に変貌していて、指先に残るわずかな熱を奪ってしまう。
 ぬくもりを求めて視線を走らせる。前を歩くのは、寒そうに首をすくめている五条と、タバコをふかす硝子。五条には物理的に触れない。硝子には心理的に触れない。じゃあ――。
 隣にいた夏油の脇に、ずぽっと手を差し込む。すると彼は、「ん?」と首を傾げた。

「夏油のここ、あったかいね」
「誰でもこんなものだろう」

 避けようと思えばいくらでもできたはずなのに、触らせてくれた。それが嬉しくて、ぐりぐりと手を擦り付ける。それでも彼は無抵抗だった。

「くすぐったくないの? 五条だったら暴れてるよ」
「心を無にしているからね」
「……なにそれ。修行僧なの?」

 こちょこちょこちょ、と言いながら夏油の脇や腹をくすぐってみた。けれど、もともと口元に浮かべていたうっすらとしたその笑みは、ひとつも変わることがなかった。
 高貴な薄布でも纏っているかのようなその顔を乱したくて、首元に手を伸ばしたとき、

「俺がなんだって?」

 背後から抱きすくめられたかと思えば、腹のあたりを骨張った指が這いまわる。

「やだ、やめて! ばか! やだ!」

 やだってばと言いながらも、耐えかねて噴き出すように笑ってしまう。くすぐったさに身を悶える私に、五条はニシシと笑いながら「お前の方がここ弱いくせに」と、脇の下へと手を差し込んでくる。
 うるさいとボヤきながらも、立ち止まって五条と私の攻防戦を見守る硝子。夏油は、どうしていただろう。笑い死にそうになりながらも、ポケットの中の冷え固まったカイロを、いかにして五条悟の頬へぶち当てることができるか考えていたせいで、夏油の様子にまで意識が向かなかった。ただ頭の隅でぼんやりと、ああ夏油って、体には触らせるけど、そのもっと向こう側には触れさせてくれない人なんだな、と思っていた。


 寒くて目覚めたのは、いつぶりだったか。確か中学の頃の修学旅行で冬の京都に行った時。氷の上で寝ている夢を見て目を覚ますと、布団がキンキンに冷えていた。すぐ隣で眠る友達の布団に触れてみると、全く冷たくはない。おかしいなと思って天井を見上げると、呪霊がいた。凍え死にさせようとでもしたのか、人の寝込みを襲う悪趣味なやつ。そしてそれに気づかず眠りこけていた、へっぽこな私。寝ている人間を襲うほどの雑魚なので、簡単に祓えた。けれど呪霊は消え際に、氷柱のような爪で私の手を引っ掻いた。それが関係しているのか、単にそういう体質だったのかは分からないけれど、その夜以降、私は末端冷え症を抱えて生きていくことになってしまった。

 寒い寒いと呟きながら廊下へ出る。昼間に触れたあのぬくもりを思い出して、暗い寮の中をひたひたと歩いていく。入学当初、夜蛾先生から「気配を消すのが一番うまい」と褒められたことがある。存在感が薄いってことだよと夏油にからかわれたけれど、構わなかった。褒められたことが嬉しくて、気配を消す技を地道に磨いてきた私は、今まさに目的のドアの前まで来ると息を潜め、夏油傑の部屋へと忍び込むのだった。
 ――寝てる寝てる。
 彼は仰向けで、枕の下に片腕を差し込むようにして寝ていた。脇がガラ空きですよ、夏油さん。にんまりとする口を手で覆いながらベッドへと近寄る。そうして、その脇へそっと顔を埋めた。

「変態だな」

 ハッと顔を上げると、切長の目がこちらをじっと捉えていた。

「……起きてたの?」
「気配でね」

 完全に消せてたと思ったのに。これが呪術師としての格の違い?

「……寒くって」
「へえ」

 悔しさのあまり口ごもるようにそう言えば、夏油は枕の下に差し込んでいた手を抜き、私の頬へと当てた。

「こんなに熱いのに?」

 カーテンの隙間から覗く月明かりが、夏油の顔を青白く照らす。黒褐色の瞳が鈍く光っているように見えた。

「違う、手足が……」

 末端冷え症だから、という言葉は、シーツの擦れる音に消える。上体を起こした夏油は私の足を引き上げると、

「ここか」

と、唇を落とした。夏油は、何が起きたのか分からず瞬きを繰り返すばかりの私を見下ろして、ふっと笑んだ。

「確かに冷えてるね」

 目から入った情報が脳へと渡るのに、何十分もかかったように錯覚してしまうほどだった。

「あと、ここも」

 今度は手の指先にもう一つ唇を落とす。冷えた足の先が、指が、じわりと溶けていくように感じた。
 うそだ。おかしい。あんなにしぶとい私の冷え症が、夏油にキスをされただけで消え去るなんて。

「……もしかして夏油、取り込んだ? やっぱりこの冷えは呪いのせいだったの?」
「なんの話かな」

 じんじんとした冷たさの代わりに、今度はじくじくとした熱が広がっていく。体のまんなかが温かくなり、呼吸が浅くなってくる。

「そうだ。私もしたかったんだよな、これ」

 不意に、夏油の指が脇腹を這いはじめる。身をよじらせていると、くすぐり合う五条と私を遠巻きに見る夏油の姿が思い浮かんだ。もしかして、と彼の脇の下へ手を伸ばし、「こちょこちょこちょ」と指を動かしてみる。すると夏油は、ふはっと息を漏らして笑った。

「なんだい、その信じられないものを見るような目は」
「……いや、笑ったなぁと思って」

 修行僧じゃなかったんだね、と言うと、なんだそれ、とまた笑った。
 おかしいのは、夏油と私、どっちなんだろう。体には触れられるけど、その向こう側には触らせてくれない人だと思ってた。でも今、爪先だけでもそこに触れた気がした。凍てついて動きの鈍くなっていた私の指が、夏油の熱で溶かされ、幾分か軽やかになったからなのか。それとも、溶けたのは彼の方か。
 影が落ちてくる。夏油の顔がすぐ目の前に迫ってきて、焦点が合わなくなる。

「私の領域に入り込んできた罰だよ」

 これから起こることは全部、互いの体のもっと向こう側へ渡るための通過儀礼。夏油はそれを罰と表現したけれど、褒美の間違いでは。そんなことを思う私は、すっかりこの熱に浮かされてしまったのだろうか。




(2022.02.03)
夏油様、お誕生日おめでとうございます!

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