この学園には番長がいる。同じクラスの宇髄くんだ。ケンカがべらぼうに強い彼の名は、県境をも越えるほどに広く轟いているらしい。

「おう番長。お前も居残りさせられてんのかよ?」

 まるでのれんをくぐるかのようにして教室へ入ってきた宇髄くんは、窓際の席に座っている私を見てニッと笑う。そうして、踵の踏み潰れた上履きをぺしゃぺしゃと鳴らしながら近寄って来た。
 そう。宇髄くんは私のことを番長と呼ぶ。それは私が彼と同等にケンカが強いからというわけではもちろんなく、単に私が、この学園の生徒会長だからだ。

「違います。居残りじゃなくて、明日の会議で報告する内容をまとめているんです」
「ふぅん」
「あと。何度も言ってますけど、番長と呼ぶのはやめてください」
「えーなんでー?」
「この学園を力で牛耳っているように聞こえるからです」

 私の前の席の椅子を引きながら、宇髄くんが愉快そうに言う。

「牛耳ってんじゃねーの? 生徒会の権力ってやつで」
「……はい?」

 一瞬「そんなことないです」と反論しようとしたけれど、相手の言い分も聞かずに否定するのはよくないと思い直し、「どういう意味ですか」と聞き返す。

「俺見たんだわ。なんだっけ、生徒会のあいつ。メガネのヒョロッとした男」
「……タカダくんですか? 風紀委員長の」
「あーそんな感じの名前だったっけか。まあよく知らねぇけど、その男が今日、持ち物検査だとかなんとか言ってクラスの女子のカバン漁ってた」

 思わず眉間に皺を寄せてしまう。カバンを漁るタカダくんの姿が想像できなかったからだ。

「漁ってた?」
「そう言ってんだろ」
「……それはきっと、今日がハロウィンだから、お菓子を持ち込んでないか検査をしていたんだと……思いますけど……」
「抜き打ちで、それも女子のカバンだけを検査すんのか? そりゃ立派なお仕事だな」

 宇髄くんは頬杖をつき、黙り込む私が次にどんな反応をするかうかがっているようだった。
 ――確かにタカダくんは風紀委員長の肩書きを振りかざしている節はあった。今回の持ち物検査が下心からの私的な行為だとは思いたくないけれど、明日きちんと事情を聞いて、必要であれば厳しく注意しないと……。

「ってことで、あいつは俺がシメといたから」
「……へ?」

 素っ頓狂な声が漏れてしまう。そんな私の反応が期待通りだったのか、宇髄くんは口元をゆるめた。

「シメるって……まさか怪我をさせたんじゃ?」
「まさか。何やってんだよ、っつって肩らへんを軽ーく叩いてやっただけ。漏らしそうな顔して逃げてったけど」
「……はあ」
「したらまあ、なぜか俺が担任から大目玉喰らってよぉ。そんで今日も居残りさせられてるっつーわけ」

 素行が良いとは言えない宇髄くんが放課後の居残りを言い渡されること自体は珍しくない。珍しいのは、こうして先生から言われた通りに居残りをしていることだ。
 ――てっきり、今日も帰ってしまうのかと思っていたのに。
 机の左側に掛けたカバンに目をやる。この中には、もしも今日、宇髄くんと二人きりになれるようなことがあったら渡そうと思っていたものが入っている。

「何?」

 宇髄くんは私の視線をたどり、机の横へと顔を向けかけた。――まずい、気を逸らさなきゃ。

「あっ、あの!」
「は?」
「ともかく、私のことを番長と呼ぶのはやめてください。それにこの学園の番長は私ではなく、宇髄くんでしょう」
「あー、そうなの?」

 どこか気だるそうな声が、夕焼けに染まりはじめた教室に消えていった。宇髄くんは頬杖をついたまま、その視線を窓の外へと向けている。
 宇髄くんの横顔を見ながら、まずいことを言ってしまったのかなと思った。もしかすると「番長」と呼ばれることが嫌なのかもしれない。私も「会長」と呼ばれるのが嫌いだ。自分を過大評価されているみたいだし、その肩書きに見合う自分であらねばならないとプレッシャーに感じてしまうから。きっと宇髄くんは番長になるつもりなんてなかっただろうし、私だって生徒会長になるつもりはなかった。いつの間にか周りに押し上げられてここにいる。それだけだ。

「じゃあ分け合うか」
「……え?」

 なにを、と首を傾げると、宇髄くんは目線だけをこちらに流して言った。

「俺が裏番長。お前が表番長」
「……なんですかそれ」
「さあな。俺もよく分かんねぇ」

 喉をくつくつと鳴らす宇髄くんは、ふと私の手元を見おろして、「そういえば」と言葉を続ける。

「お前さ、なんで生徒会室じゃなくてここで作業してんの?」
「……え、っと、それは――」
「あっ、分かった。誰かが生徒会室でヤッてんだろ」
「ヤッ……⁉︎ な、にを……なんてこと言うんですか!」

 声が裏返ったことへの気恥ずかしさをかき消したいあまり、大声を出してしまった。けれども宇髄くんにはノーダメージのようで、大声に怯むどころか意味ありげに笑っていた。

「あの部屋、でかいソファーあるからな。俺さっき生徒会室の前通ったけど、ソファーの上に乗ってたぞ」
「……だ、誰が……?」

 生徒会室の責任者は私だ。もし本当にそういうことが行われているなら、詳細を知っておかなくてはいけない。重大な校則違反として先生に報告して、二度と同じことが起きないように、生徒会室の鍵から入退室の記録までの管理を見直さなければ――。そんな大義名分で塗りつぶしたつもりだったけれど、宇髄くんはきっと見抜いただろう。私の好奇心を。誰と誰がそういう関係になっているのか知りたい、という本音を。
 宇髄くんは少し体を前へと倒し、私の方へと顔を近づける。そうして、ゆっくりと声を発するのだった。

「没収された菓子が」
「――は?」

 本日二度目の素っ頓狂な声。宇髄くんはブハッと息を漏らし、お腹を抱えて笑いだした。

「あんな丸見えの生徒会室でヤるアホなんてさすがにいねえってーの!」
「……っ、ばかに! しないでください!」
「いやバカにはしてねぇよ。かわいいやつだよなってこと」
「引っ掛けるなんてひどいです! ミスリードです! それにかわいいなん、て……えっ? はい?」
「あーおっもしれぇ反応見れたわ。っつーことで、トリック・オア・トリート」

 展開について行けていない私をさらに周回遅れさせるような一言を放った宇髄くんは、

「ハロウィンだろ。生徒会なら没収した菓子の一つや二つ持ってんじゃねーの」

と、もう一度「トリック・オア・トリート」と言いながら手を伸ばしてくる。なんかくれよ、とでも言いたげな手のひらだ。
 私は何の整理もついていない頭のまま、スカートのポケットに手を突っ込む。そうして、

「……どうぞ」

 宇髄くんの大きな手のひらに、一粒のキャンディを置いた。彼は一瞬、面食らったように目を見開いた。けれどすぐに片方の口角をゆるっと引き上げ、

「没収したやつ?」
「……いえ、違います」
「お前が持って来たってこと? ならこれ、校則違反なんじゃね?」

 宇髄くんはキャンディと私とを見比べるようにしながら言った。私が「校則違反」という言葉に過剰に反応すれば、宇髄くんは愉快なものを見るかのように目を細める。

「これはその……! 今朝、通学途中に近所のおばあさんから戴いたもので! 自分の意思で持参したわけでは――」
「はいはい。んじゃ、ありがたく頂戴するわ。ばあさんありがとなー」

 宇髄くんは包み紙を開け、赤いビー玉のような飴を口の中へと放り投げた。「あっま」と漏らす宇髄くんの右側の頬は、小さく丸く膨らんでいる。
 ――渡すなら今だ。
 私は急いでカバンを開き、中からリボンの付いた小袋を取り出すと、勢いをそのままに宇髄くんの胸へと押し付けた。

「なにこれ」

 宇髄くんは小袋を手に、ぱちぱちと瞬きを繰り返している。

「その、今日が誕生日だと小耳に挟んだので……」

 尻すぼみになっていく私の声に、宇髄くんはすべてを悟ったように微笑んだ。
 ああ、どうして今日私が生徒会室ではなく教室で作業をしていたのかも、この贈り物にどんな意味があるのかも、今この瞬間、ついに知られてしまった。

「これは……校則違反です」

 宇髄くんはリボンをしゅるしゅるとほどき、クッキーを一つ摘み上げる。
 誰かのためにお菓子を作るなんて、初めてだった。初めて恋した人に、初めて誕生日プレゼントを贈る。この日だけは校則も生徒会長の肩書きも忘れようと決めた都合の良い私を、宇髄くんはどう思うだろう。

「おいおい番長、お前もワルだな」

 かぼちゃの色をしたクッキーが宇髄くんの口に入っていくのを、私はただ見つめていた。
 そうしながら、宇髄くんと背中合わせになれるなら表番長でもいいかもしれないな、と思った。
 ――と高校卒業後に伝えれば、宇髄くんは「背中なんざ合わせてたらあんなこととかこんなことできねぇだろ」と、私をその大きな腕でぎゅうぎゅうに抱きしめながら笑い飛ばしてたっけ。




(2022.10.31)


「kmt夢ワンドロワンライン」投稿作。お題「初恋」「リボン」で書きました。
宇髄さん、ハッピーバースデー!


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