「音柱。私はその任務できっと死にます」

 物心ついた頃からそうだった。私には、少し先のことが視える。それを話すと、大抵の人は私が妄言を吐いているのだと言って取り合ってはくれなかった。
 例えば、友達のお母さんが孕んでいた子の性別を言い当てれば、「偶然よ」と笑われた。明日熱が出るよと教えてあげた子が本当に発熱して寝込んだときには、「風邪が流行ってるからね」と相手にされなかった。
 でも、馬に気をつけてと忠告した親戚のおじさんが、その数日後に馬車に轢かれて死んだとき。そのときから、状況は少し変わった。私は気味が悪い存在として周りから認識されるようになったのだった。
 一度は憎んだことのあるこの妙な力だけれど、鬼殺隊に入ってからは重宝した。明日対峙することになる鬼がどんな血鬼術を使うのか、どういう流れで頸が斬れるのか、それらが分かるので心づもりをした上で挑めるのだ。だからなのか、私の階級が上がるのは早かった。
 嫌なこともたくさん視た。隊員が死んでいく未来。信じてもらえないことは理解しているので、普段はこの妙な力の話は他言しなかった。だから私は多くの隊員の死期を知りながらも、何かするわけでもなく、ただ黙って見送るだけだった。未来に抗ったってどうしようもないということを、身をもって知っていたせいでもある。
 そんな私が唯一この力について話しているのが、上官である音柱だった。

「視えたのか」
「はい」

 任務を終えて藤の屋敷で休息を取っていると、音柱は「邪魔するぞ」と無遠慮に部屋へ入ってきた。こうして音柱が突然訪ねてくるのは、緊急性の高い事案があるときだ。柱は単独行動が多い。鬼を狩るのにわざわざ他の隊員の手を借りずとも、一人で十分なのだ。だからこそ、こうして音柱から任務へ帯同するよう指示されると、使える部下の一人として認められているようで誇らしかった。
 けれど今回は違った。音柱から直々に下った任務。その内容を聞いた途端に、視界がゆらりと不気味に揺れた。視えてしまったのだ。私は血溜まりの中から音柱を見ていて。音柱はこちらに背を向けたまま、刀を振るい続けていて――。

「おいおい、どこ行くんだ」

 おもむろに立ち上がった私に、足を放り出して座っていた音柱は眉根を寄せる。常人よりはるかに上背のある音柱をこうして見おろすのは新鮮だった。

「今夜死ぬとなれば諸々始末をつけないと。家を引き払って、田舎の叔母にお金を送って……」
「馬鹿野郎。なに諦めてんだ。そんな未来、覆してみせろよ」

 音柱の言葉は、私の鼓膜を痛ぶるように打ち鳴らす。無意識のうちにかたく握りしめた拳が震えてしまったのを見たのだろう。音柱は形の良いその目をすうっと細めた。

「……覆せないんです」

 先のことが視えるなら、そうならないように立ち回ればいい。そう思って何度も抵抗してみたけれど、変えることはできなかった。
 未来に抗うことを諦めたのは、家族が死んだときだ。家が火に呑まれる光景を視てしまったあと、それが現実にならないよう必死に回避しようとした。けれど結局変わらなかった。家族と片時も離れないようにしようと決めていたのに、近所の友達に半ば強引に誘われて湯屋へ行ってしまった。その間に家は燃え、私以外の家族はみな焼け死んだ。

「分かった。じゃあ、お前をこの任務から外す」

 皮膚がじりじりと燃えるようなあの熱を思い出して硬直している私に、音柱は静かにそう言った。

「……ですが、この任務には稀血が必要なんでしょう」
「誰か代わりを見つける」

 稀血しか喰わず、普段は洞窟の奥に潜んでいる引きこもりの鬼。稀血を連れて行き、のこのこと出てきたところで頸を斬る算段らしい。話だけ聞けば下弦にも満たない雑魚鬼のように思えるが、これは柱が担うことになった任務。難儀な血鬼術を持っているはずだが情報がない。鬼の全貌すら把握できないまま何人もの隊員が命を落としているのだ。そして私も、そのうちの一人になる。

「乙以上の階級で稀血の剣士なんて、風柱か私ぐらいしかいませんよ。風柱は他の任務に出ていらっしゃいますし、他に適任者はいないはずです」
「だがお前は――」
「私を外さないでください」

 ただ生きているだけでも狙われやすい稀血が、死に向かって走るような鬼殺隊士になるなんて自殺行為もいいところだ。育手にはそう言われた。それでも私は、何もせずただ生きていたくはなかった。家が燃えたのは鬼のせいではない。けれど、親や妹の亡骸を奪って、ほとんど炭になった体を貪ったのは鬼だ。家族を弔うことすら許さなかった鬼が憎い。いちばん憎いのは、未来を知りながら何もできなかった自分なのに。馬鹿みたいだ。
 それでも、恨めしかったこの視える力が鬼殺隊で少なからず役に立ち、いくらかの命を救えたのならば、この道を選んだのは間違いではなかったのかもしれない。そう思えている間だけは、家族を死なせた罪悪感から逃れられる。だから私は死ぬまで鬼殺隊を辞めないし、ここで死ぬつもりでさえいる。

「おい」

 障子を少し開けてみれば、日の昇ったばかりの空へ向かって鳥がピチチと鳴きながら飛んでいくのが見えた。音柱は私がそのまま外へ出て行ってしまうと思ったのだろう。腰を上げて、私の肩をぐっと掴んだ。

「死ぬ覚悟なんて、とうにできています」

 何十人もの隊員を見てきた音柱にとって、この言葉はきっと、これまで飽きるほど聞いてきたはず。それなのに眉間に深い皺を刻んで、

「俺が死なせねえよ」

 胃の奥深くに沈み込むような声でそう言った。肩を掴む音柱の手を振り解こうとしたけれど、ぴくりとも動かない。私は音柱の手首を両手で掴んで引き離そうと躍起になりながら、「構わないでください」と声を絞り出す。

「覚悟は、できているんです、って……!」
「でも心残りはあんだろ」
「――え?」
「それがあるうちは死ぬ覚悟ができてるとは言えねーんだよ」

 蘇芳がかったその瞳は、まるですべてを見透かしているかのようだった。こうして誰かと長く視線を合わせるのは、初めてだ。体に触れるのも。その人の先のことが視えてしまいそうで恐ろしかったからだ。でも今は何も感じない。この妙な力は、死を前にして急速に衰えてしまったのだろうか。

「心残り……」

 太い手首に回していた指の力をゆるゆると抜いていけば、音柱も私の肩から手を離した。
 昔、廓通いでいつも金欠だった隊員がいた。そんな彼に誰かが訊いた。どうしてそうも遊郭に金を注ぎ込むんだよ、と。すると彼はこう返した。「女を抱いてるときだけが、生きてることを実感できるんだ」と。それを聞いた他の隊員たちが共感するように頷いていた光景を、なぜだか忘れられない。

「音柱もそうですか?」
「なんだよ急に」
「女のひとを抱いているときが、生を実感できる瞬間なんでしょうか?」

 音柱は呆気にとられたように目を丸くしたが、すぐに重めの瞬きを一つ打つと、今度は目線を斜め上にやりながら額当てをくいっと上げた。

「それも一つかもな。だがそれだけじゃねえ」
「他にはどんなことが?」
「そりゃあ、これからお前が自力で知っていけ」
「……それができないからお尋ねしているんですが」

 音柱はまだ私に「未来を覆せ」と言うのだろうか。少し見合ったのち、私は俯いた。背の高い音柱を見上げてばかりいたので疲労していたのか、首の筋が心地よくゆるんだ。

「心残りがあるとするなら……まぐわいというものを、してみたかったです」

 私は畳の目を見ながら、息を吐くようにそう呟いた。頭上で噴き出すような音が聞こえて顔を上げれば、音柱は口元に手を当てながら「わりぃな。笑っちまった」とえらく正直に言った。

「ていうかお前、そんな明け透けに言うなよ。恥ずかしいやつだなおい」
「ではどんな言い方をすれば?」
「んーまあ、なんだァその、体を重ねる、とか?」
「はあ、なるほど」

 何かに対して手放しで喜んだり、泣いたり、怒ったり、悲しんだり。そういうごく一般的な人間的感情は、遠い昔に置いてきてしまったように思う。きっと家族が燃えたときに一緒に焦げ落ちてしまったんだ。鬼殺隊には同じような境遇の人が多い。廓狂いで最後は鬼ではなく梅毒で死んでいった彼も、似たような気持ちだったんだろう。不気味に凪いだ心に、少しでも、束の間でも波打つ何かを得たときに、自分の中にあるいのちを感じたんだろう。
 生きることへの執着はないけれど、これまで自分を生かしてきたいのちには興味がある。一度はそれと対峙してみたい。今夜死ぬのなら、最期に一度だけ。その手立てが、音柱の言葉を借りるならば「体を重ねること」なら、残された時間で相手を見つけて――。

「いいぞ。俺が相手になってやる」

 えっ、と息を漏らす間もなく、腕をぐいと引かれた。そのまま畳の上に倒れてしまうと、音柱がこちらを見おろしながら額当てを外そうとしていた。

「……どういうことですか?」
「分かんだろ。そういうことだ」

 額当てを外した音柱を、初めて見た。白銀の髪が陽を浴びて透明の輝きを放つその中で、あの蘇芳色の瞳だけが輪郭をはっきりとさせて私を捉えていた。

「だがこれは、お前の死に支度を整えるためじゃあねーからな」

 そう言いながら、音柱はわずかに開いていた障子を隙間なく閉めきった。薄暗がりの中では、どれがどちらの影なのかも分からない。体にのしかかってくる重みだけが、音柱の動きを私に伝えてくる。

「俺には嫁がいる。だから俺とはこれっきりだが、お前がこういうことをすんのはこれが最後なわけじゃねえぞ。お前は明日を生きて、いつかいい男でも見つけて、そうしてそいつとまぐわうんだ」
「……そんな未来、ありません」
「そんな未来を今から視せてやる。生きたいと思わせてやる。そのためにこうすんだよ」

 不意に間近で感じたぬくもりに、思わず目を瞑る。瞼の裏に視えたのは、音柱の下ではしたない声を上げながら身をよじらせる自分の姿だった。なぜ今の今まで、このあとすぐに起こることが視えなかったんだろう。今夜の音柱との任務で命を落とすことしか視えていなかったのに。もしかすると、本当に音柱が創ったのかもしれない。私の中に、あたらしいミライをねじ込んだのかもしれない。

「だが、いいか。よく聞け」

 耳元で囁かれた吐息混じりの言葉に、まだどこにも触られていないのに体の内から熱があふれた。これはいのちの一部なんだろうか。

「俺に惚れんじゃねーぞ」




(2022.11.20)

「ひとへ企画」投稿作。お題「一回セックスした」

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