あなたと(Alternate Ending)



 こんなこと、きっと受け入れてもらえない。それでも、どうしたって浮かんでくるのは、彼のことだった。
 ――大丈夫。きっと全部、大丈夫やからね。
 そんな志津さんの言葉が、頭の中で何度も繰り返し響く。おはぎを食べて泣いてしまった私の頭を、そう言ってやさしく撫でてくれた。あのとき、心の底から安心したのを憶えてる。
 志津さんの「大丈夫」という言葉が欲しい。そんなことを考えながら歩いていると、不死川家の近くまで来てしまっていた。無意識とはいえ、何をやっているんだろう。そう自分を恥じながらも、寒さと空腹に負けて、ひとまず目の前にあったコンビニへと入る。そうして温かいお茶と肉まんを買うと、店の前に出て一口ずつ含んだ。体が内側からあたたまってくると、少し視界がひらけたように思えた。
 ――本当に好きなやつと添い遂げればいい。
 そんな不死川先生の言葉が、耳に蘇る。
 不死川先生のことは、まだよく知らない。けれど不思議と、ずっと前から知ってる気がしていた。同時に、私のことも理解してくれているような、そんな気がしていた。

「……なんでだろ」

 そう独りごちたとき。駐車場へと入ってきた車のライトをもろに浴びてしまい、瞼をぎゅっと閉じる。眩しさのあまり、ライトから目を守るようにして顔を背ける。ドアの閉まる音とともに、灯りは消えた。
 車の持ち主が店内へと入っていく足音を耳で確かめると、再び前へと向き直る。そうして、目がおかしくなりそうだったなと思いつつ、肉まんをまた一口かじった。
 これを食べたら帰ろう。さすがに、玄弥も帰って来るかもしれない不死川家へ行くわけにはいかない。でも、いつかまた前みたいに、みんなに会えたら――。

「……え?」

 店から出てきたその人の姿に、思わず声が漏れる。不死川先生だった。
 先生は、こちらに気づいていない様子で、先ほど眩しいばかりのライトを放っていた車へと向かう。ドアを開けると、レジ袋からペットボトルを取り出し、車内へ置く。そうしてドアを閉め、コンビニ横の細い路地へと入っていった。
 吸い寄せられるようにその後を追い、

「不死川先生!」

 声を掛けてしまった。それも大きな声で。
 振り返った先生の目は、避けそうなほどに大きく開いていた。

「お前、こんなとこで何やってんだァ」

 先生の顔を見た途端に、体中が熱くなる。目から口から、留めることのできないものがあふれ出しそうになる。
 ――立ち込めていた霞の向こうにいたのは、不死川先生だった。それを伝えたら、拒否されてしまうだろうか。そうじゃないだろうと、諭されてしまうんだろうか。

「おい、どうしたァ」

 唸るような声に、萎縮しそうになる。そんな自分を鼓舞するように、太ももを拳で打つ。

「受け入れてほしいわけじゃありません。ご迷惑なのも承知してます。けど、もう誤魔化せないから……だから、伝えておきたいと思って」

 声が震えるせいで、先生の耳までちゃんと届いていたかは分からない。立ち尽くす私の方へと、先生が一歩ずつ近づいてくる。

「なんだよ」

 声が落ちてくる。すぐ目の前にいる不死川先生を見上げることができず、スカートの裾を揉み合わせる。
 先生の片手にぶら下がっているレジ袋からは、アイスが見えた。兄ちゃんいつもこればっかり、とむくれる貞子ちゃんの顔が浮かんで、ふっと笑ってしまう。
 そのとき、「危ねェ」という言葉とともに、腕を引かれた。そうして不死川先生は、勢いよく通り過ぎていった自転車に舌を打つ。

「悪ィな」

 掴まれていた腕が、解放される。離れていく手を追うように、私は先生の手のひらを握る。
 そうして肌がぴたりと触れた瞬間、息が止まった。周りの音が消える。目の前に、映像が流れ込んでくる。
 ――白地に赤椿の浴衣。拳ほどの大きなおはぎ。子どもたちが笑ってる。あの人が、笑ってる。

「――さ、ん……」

 すべてを失くした者同士だけれど、二人で大切なものを一つひとつ生み出して、分かち合って、守り合って。そうやって一緒に、生きた人。

「実弥、さん」

 ――そうだ。どうして、忘れてたんだろう。

「お前、記憶が……」

 握っていた手がぴくりと動いたかと思えば、強引に振りほどかれる。

「だめだ、俺のことはもう、いい。同情だったんだろう。もう必要ねェよ。前世の関係に縛られるな」
「……それは思い違いです」

 彼は目元を手で覆い隠していたが、それでも耳は傾けてくれているように思えた。
 感情はすでにあふれ出しそうなほどだったけれど、それでも言い淀むことなく、言葉は紡がれた。

「私が同情であなたと夫婦になったと思っているなら、それは大きな勘違いです。そうしたかったから。あなたと生きたいと思ったから。悲しみも、喜びも、すべて分かち合ってくれた。最期まで家族を想ってくれた。幸せでした、とても」

 腕をだらりと垂れた彼は、込み上げてくるものを抑えるように唇を噛みしめていた。私は先ほど振りほどかれた手を伸ばし、その腕にそっと触れる。

「また会えましたね、実弥さん」

 俯いている彼を覗き込んでそう言うと、その頬や耳は、わずかに赤らんでいるように見えた。

「もっと教えてください、今の実弥さんのことを。知ってほしいです、私のことも」
「……いいのか、俺で。せっかく煉獄に会えたのに。お前あいつのこと、ずっと好きだったんだろ。それに玄弥だって――」
「実弥さんは? 本当は、どうしたいんですか」

 紅潮している頬へと手を当てた。指先からじわりと熱が伝わってくる。顔を上げた実弥さんと、まっすぐに目が合う。高鳴る胸を押さえ込もうとしたけれど、無理だった。衝動のままに、その腰に抱きつく。

「私は、あなたとこうしていたいです」

 ビニールの擦れる音がした。彼の手から離された袋が、道路に落ちる。地面にぶつかった衝撃で、アイスの中身がこぼれ出た。太い腕が体を包む。その熱の中で、落ちてしまったアイスへと気を向ける余裕は、もうなかった。

「もう苦労はかけねェ。お前を置いて死ぬようなことはしねぇから」

 強く強く抱きしめてくる実弥さんは、繰り返し私の名前を呼んだ。その背をとんとんと叩きながら、思わず笑みがこぼれてしまう。

「あなたを置いて死ぬ方が心配です。どうか私よりも、ほんの少し先に逝ってください」
「……気が早すぎだバカ。何十年後の話してんだ」
「バカって、ひどい。実弥さんが言い始めたんじゃないですか」

 腰に手を回したまま、上体だけを離して、互いに目を合わせる。視界が霞むのは、涙のせいか。実弥さんが私の目元に指を当てるのと、私が実弥さんの頬を伝う涙を掬ったのは、ほとんど同じタイミングだった。そのことに驚き、照れくさそうに笑い合ったのち、私は再び彼の胸へと顔を埋めた。

「また一緒に、生きていきたいです」

 ここに在る幸福は、もう何にも奪われない。あの頃は想像もしていなかった。すべてを失くした先に、こんなにも尊い今があったなんて。

「当たり前だァ」

 頭をやさしく撫でてくれるその手には、未来がぜんぶ詰まっているように思えた。
 また二人で、大切なものを一つひとつ生み出して、分かち合って、守り合って。そうやって一緒に、生きていく。






 - 完 -


(2022.01.28)

拍手を送る