13.送り返された手紙


「あ、ドラコ」

 マルフォイがスリザリンの談話室に入ってくるなり、ソファに座ってチョコレートを食い漁っていたクラッブは立ち上がり、

「おーいパーキンソン、ドラコが帰ってきたよ」

と女子寮へと続く階段に向かって呼びかけた。 マルフォイはそれを横目で見ながら暖炉前のソファに腰を沈め、十分に乾ききっていなかった髪をタオルで拭く。 そうしながら、さきほどのことを思い返していた。監督生の風呂での出来事を。

「ドラコ!」

 マルフォイがぼうっと暖炉の火を見つめながら頭をタオルで拭いていると、階段からパーキンソンが下りてきた。 クラッブは自分の任務は終えたとばかりにテーブルの上のチョコやらマフィンやらを掻き集めると、男子寮へと消えていった。 パーキンソンは上の空のマルフォイの隣に腰掛けると、

「ねえ、どこに行ってたの?」

と手をそっとマルフォイの膝に置いた。 その手の感触と、階段を下りてくる足音でマルフォイはふと我に返った。 恐らくクラッブからマルフォイが戻って来たことを聞いたのであろうゴイルが階段から姿を現した。 マルフォイはゴイルに目をやった後で、腕にひっついてくるパーキンソンを見下ろした。

「どこって、どこでもいいだろう?」
「でも気になるのよ。あなたって時々、ふらーっとどこかへ行っちゃうんだもん」

 マルフォイは目を細めた。 パーキンソンはそれを見ると、「もしかして」と言う。

とこっそり会ってるんじゃないでしょうね?」

 それに対してマルフォイは動揺したように、タオルを肩に掛けるとソファから立ち上がった。 パーキンソンはそれをじっと見つめている。

「本当にそうなの?」
「……どうしてそうなるんだ」
「だって、じゃあ、“恋するフクロウ”をあなたに送ったのは誰?」

 パーキンソンはそれを言うと、きゅっと唇を噛み締めて立ち上がった。 ゴイルは暖炉の脇に立って、その様子を不安げに見守っている。 マルフォイはパーキンソンのその問いに目を逸らす。

「さあ、差出人の名前が書いてなかったから、見当もつかないね」
「あのふくろうに名前はもうちゃんと付けてあげたの?」
「名前―――なんだって?」

 眉根に皺を寄せてパーキソンの顔を見ると、彼女は怒りと悲しみを混ぜ合わせたような表情をしていた。 そしてローブのポケットから一枚の手紙を取り出すと、それを読み上げる。

「“昨日は本当にありがとうございました。 追伸、このふくろうは自分の名前が欲しいみたいです。”」

 マルフォイはグレーの目を見開いて、急いでその手紙をパーキンソンの手から奪い取った。 ところがパーキンソンは涙を零しながら、絶望したかのような声で、

「“より”」

と言うと、両手で顔を覆った。 マルフォイはからの手紙を右手に握り締めたまま、ソファに崩れ落ちたパーキンソンを見ていた。

「勝手に……部屋を漁ったのか?」
「漁ってなんか!……ただ、あなたをさがして部屋に行ってみたら、それが脇机にあったのよ……漁るまでもないわ」

 いつかゴイルがこう言ったことがある。 パーキンソンはマルフォイが自分のことを好きだと思い込んでる、付き合ってると錯覚してる、と。 しかしその頃のマルフォイにとって、誰が自分を好こうが嫌おうが、そんなことはどうでも良かった。 今でもそうだ、と言い張りたい。 けれどもこうして、自分に好意を抱くあまりに特に用もないのに捜し回り、部屋にまで入り、故意でなくとも手紙を見つけ出したパーキンソンに対して酷い嫌悪感が湧き上がってくるのはなぜだろう。 昔の自分だったら、こんなときどうする? この手紙の差出人が彼女じゃなかったら、どうしていただろう。

「違う……」

 呟くようにマルフォイは言った。

「なにが違うの?ねえ、あなたはスリザリン生なのよ、ドラコ。そんなあなたがあんなグリフィンドールの―――
「僕はなんかどうでもいい!」

 それはパーキンソンにではなく、まるで自分に言い聞かせているかのようだった。
 ゴイルがとうとう二人の間に入って来て、興奮に顔を赤く染めたマルフォイを男子寮へと促した。 パーキンソンは階段に消えていくマルフォイの背中を、顔を覆った指の隙間から見ていた。

 ゴイルが部屋のドアを開け、マルフォイが中に入れるようにした。 マルフォイは片手で頭を抱えながらゴイルの前を通る。

「ゴイル。僕は本当に、グリフィンドールのになんて……」
「いいよ、ドラコ。わかってる」

 彼もまた、自分の心の内で首をもたげ始めた“何か”を認めることが、こわいのだ。






 女子寮のある一室で、ハーマイオニーは腕を組んで壁に寄り掛かっていた。 もうすっかり日も落ちて、その反対側からは月がぽっかりと浮かんでいる。 その薄暗い月明かりに照らし出されたは、無防備にベッドに横になっていた。

、スカートが捲れてるわ」

 ハーマイオニーはを見ずに、窓の外に目をやりながら素っ気無く言った。

「ハーマイオニー。怒ってるの?」
「怒る?なぜ?」

 は片手で捲れ上がったスカートの裾を直すと、天井を見つめたまま、

「“忘れられない男の子”が、マルフォイ君だったから」

と言った。
その瞬間にハーマイオニーはハッと鼻で笑った。 は不思議そうにそれを見る。

「まだ彼がマルフォイだと決まったわけじゃないわ。だって、否定してるんでしょう?」
「でもたしかに傷痕はあったのよ。……ハリーと同じよ」
「同じって、なにが?」

 今度はハーマイオニーがを疑わしそうな目で見た。

「いくらハリーが否定したって、皆“その額の傷はヴォルデモートから受けたものだ”って言うよ」
「……あなた、大丈夫?言ってることがめちゃくちゃよ?」
「私は!」

 は勢い良く上半身を起こすと、

「分かるの!マルフォイ君がいくら否定したって……いくら覚えてないって言ったって……」

 だんだんと力を失っていくの言葉に、ハーマイオニーはため息をついた。
 が話してくれた、バスルームでの出来事を聞いてハーマイオニーにも全てを理解することは勿論出来た。 傷痕を見たがそのことについてまだ口を開かない内に、まっさきに“覚えていない”と言ったマルフォイ。 その時点で、ハーマイオニーはドラコ・マルフォイがの捜していた“忘れられない男の子”だと確信した。
 しかしそのことを口に出したくは無かった。もしそれを言えば、自分がマルフォイのことを認めたようで憎かったからだ。 確かに、はやくの前にその少年が現れてくれればいい、と願った。 だがそれは自分の親友であるが幸せになるように、と祈った上でのことで、まさかその頼みの綱だった少年がマルフォイだったなんて、信じたくなかった。

。……寝てるの?」

 頭の中でそんなことを考え込んでいたハーマイオニーがふとベッドを見ると、そこには倒れこむようにして横になるが寝息をたてていた。 そこはパーバディ・パチルのベッドなのに。 仕方ないわね、と思いながらベッドの端に腰掛けたハーマイオニーは夢の世界に行ってしまったの寝顔を見つめる。

「ねえ、。あなたの夢に出てくるその人は、あなたを幸せにできる?」






 火曜日、ハグリッドの復帰後初めての魔法生物学の授業が薄暗い森で行われていた。

「あのガマ女……」

 ハグリッドの言動に対し、忙しなくクリップボードにペンを滑らせるアンブリッジの嫌な笑みを睨みつけながら、ロンは耐え切れずに小声で悪態をついた。その隣でハーマイオニーは悔し涙を目に浮かべ、鋭い視線でピンクのコートに身を包むアンブリッジを見ている。 ハリーはそんな二人の少し後ろで、セストラルが居るとされる場所を見つめているに目をやった。 彼女にもセストラルは見えないらしく、視線が定まっていない。 それになぜだかは昨日から様子がおかしかった。そわそわしたり、目を瞑って頭を抱えていたり。 昨日の呪文学の授業では、フリットウィック先生の板書に誤字を見つけて指摘した。これはにとって初めてのことだった。彼女は今まで一度も授業中にクラスの前で発言することなどなかったからだ。

 アンブリッジがまるでハグリッドには言葉が伝わらないとするように、大袈裟なジェスチャーを交えながら「査察の結果は十日後に」と言ってその場を去ろうとする。

「ちょっと待って下さい、アンブリッジ先生」

 ハーマイオニーのぶつぶつ声も、ロンの下品な言葉もぱったりと消えた。 ハリーはアンブリッジに歩み寄って行くを見て確信した。 彼女に何かが起こっている、と。

「もし先生がご存知でないなら、私が教えて差し上げましょうか」

 アンブリッジは鼻をぴくりとさせたが、何とでもない風を装って、

「ミス・、一体どうしたの?」

 無理矢理笑顔をつくり、猫撫で声で対応する。 するとそんなアンブリッジに対し、はにっこりと笑って言った。

「先生があんなに馬鹿げたダンスをしてくださらなくとも、ハグリッド先生には通常通り言葉は通じますからご安心を」

 生徒の間でどよめきが起こった。ハグリッドは大きなその口をあんぐりと開けている。 アンブリッジは目元をひくひくと痙攣させていたが、グリフィンドールの生徒たちから笑い声が湧いてくると、

「馬鹿げた―――ダンス?」

と怒りを抑えているかのような声で言った。 ロンは「さいっこう!」と涙を浮かべるまで笑い転げている。 ハリーも笑いたかったが、いつもと違うの言動が気になり、ハーマイオニーに囁く。

はどうかしたのかい?」
「……さあ」

 ハーマイオニーは、アンブリッジの憎憎しい視線を一身に浴びながらも平然とするを見つめながら答えた。

「静かに!」

 ようやくアンブリッジは甲高い声で、生徒たちの笑い声をかき消した。 ロンはまだヒーヒー言っていたが鋭い視線を飛ばされ、そこでやっと黙った。

「ミス・。今晩私の部屋にいらっしゃい」

 恐ろしいほど引きつった笑顔でにこりとすると、アンブリッジはクリップボードを片手に城へ戻って行った。






 三日月がふくろう小屋の高窓から顔を覗かせている。 左手の甲に刻まれた“愚かな私”という文字を目で読むと、は杖を取り出し呪文を呟いた。 やわらかい光が文字を吸い込むようにして、甲の傷は綺麗に消え去った。 月明かりを浴びながら、は箒を片手にふくろう小屋を掃除して回る。
 アンブリッジは放課後に部屋を訪れたに、ハリーのときと同じように自分の甲に文字を刻ませた。 馬鹿げたダンスというのがよほど気に入らなかったのか、それに加えてふくろう小屋のフンが消えるまで掃除をするように命じた。 もちろん、魔法無しでなのだが、は愚かなのはアンブリッジの方だと思った。そう言いながらも、杖を取り上げなかったからだ。 だからと言って魔法でフンを片付けることはしようとしなかったが、手の甲の傷はあまりにも屈辱的だったので消した。

 森から城へと戻る途中で、ハリーに「どうかした?」と心配されてしまった。 はただハグリッドに対するアンブリッジの態度が許せずにあの発言をしたのだが、彼らには“がおかしくなった”と捉えられたらしい。 でももここ最近、昔に比べて自分は活発になったな、と感じていた。
 ―――嫌なことも嫌だってちゃんと言えるようになったし……。
 クィディッチ試合の日のパーキンソンとの大広間でのやり取りを思い返し、箒の柄を両手で包み込みあの日の回想にふける。 ハーマイオニーがロンの頬にキスをし、ハリーがスニッチを掴み、マルフォイが……
 ―――……グレーの瞳だった。
 そして、マルフォイと目が合ったときのことを思い出した。 あのときはまるで、時間が止まってしまったかのようだった。 不思議なことに、そのときのことを思い出すと胸の鼓動が高まる。
 が自分の左胸に手を当て心臓がどきどきと鳴っているのを感じながら首を傾げていたとき、キイ、と小屋の扉が開き、外の冷たい風が吹き込んできた。

「あ……こんばんは」

 小屋に入ってきたのは背が高くて図体のしっかりとしたスリザリン生。 は挨拶した後でその顔をよく見てみると、それはいつもマルフォイと居るグレゴリー・ゴイルだった。 ゴイルはの姿に驚いたようで、とっさに手に持っていた手紙をさっと後ろに隠した。

「私はアンブリッジ先生の罰則でここの掃除をしてるの。あの、だから私のことは気にせずに……」

 はホッホと鳴き声をあげる数百羽のふくろうたちを、まるでお好きなものをどうぞ、という風に手で指した。 無言で頷いたゴイルは、再び掃除を始めたを横目でちらりと見てから、ふくろうの品定めをはじめたようだった。 こんな夜に一体誰に手紙を送るんだろう、という好奇心を抑えながら、はせっせと床を掃く。

 十分ほど経ったかもしれない。ゴイルはようやく一羽のふくろうを見つけると、チッチと呼び寄せた。 しかしその小さなモリフクロウは片目を開いてゴイルの姿を確認すると、ツンっとそっぽを向いてしまった。

「おい、頼むよ」

 弱りきった声で言うゴイルに、は思わず目をやった。 ゴイルは手紙をふくろうに見せながら手招きをしている。 随分と手の掛かるふくろうも居るんだな、とゴイルが呼ぶふくろうを見てみると、それはあの“恋するフクロウ”だった。 ふくろうはに気付くと、ホー、と嬉しそうな鳴き声をあげて飛んできた。

「久しぶり」

 肩に止まったモリフクロウはの指を甘く噛む。 ゴイルはますます弱った顔を見せる。 きっと誰かにラブレターを送ろうとしていたのだろうか、と思うとは自然と笑みが零れた。

「ゴイル君の手紙を届けてあげたら?」

 なだめるように言うと、ふくろうはなぜか哀れむような目でを見つめ返してきた。 が不思議に思っていると、ゴイルは決心したように息を吐いてからこちらへ向かって歩いてくる。

、これ」

 ゴイルが持っていた手紙をすっと差し出したのに不意を突かれたは、えっ、と声を出した。 強引に手紙を押し付けると、ゴイルは走って小屋から出て行ってしまった。 ドアが閉まった後、グシャっとくたびれたその手紙に目を落とす。 宛名を見て、はまるで胃の中にたくさんの氷が落ちてきたような感覚に襲われた。

「……どうして…?」

 それは間違いなく自分の筆跡。 間違いなく、前にが“恋するフクロウ”に届けてもらった、マルフォイへの手紙だった。 送り返されたその手紙に涙が落下し、文字が滲む。 いまだに名前を持たないモリフクロウは、慰めるようにの耳を優しく噛むのだった。







(2007.10.5)