2.消えた涙


 次の日、ハリーたちは一歩踏み出す度に行く手を阻んでに話し掛けてくる男子生徒らにうんざりしていた。 われ先にと自分の名前を名乗る生徒に、は無理矢理に作った笑顔で頭を小さく下げる。
 そのせいもあってか、二限続きの魔法史の授業では、よりもハリーとロンがぐったりと疲れ果てていた。 ただ、ハーマイオニーの集中力は相変わらずで、ノートを写したりするのに元気よく手が動いていた。

「とにかく、あなたは無視することを学ぶべきよ」

 魔法薬の授業のため、地下牢へ下りながらハーマイオニーがに言った。 今ようやく、ここまで引っ付いてきたハッフルパフの六年生の男子生徒三人が地下牢の階段を上がっていったところだった。 ロンはその後姿を睨みつけながら「むしろ、ぶん殴ることを学ぶべきだ」と言った。

「そんなこと出来ないよ。だって、私なんかに話しかけてくれてるんだから」
「あー。もう君は眼鏡にボサボサ髪の頃の君とは違うんだ」

 ロンが慰めるように言うと、は「うーん」と曖昧な返事をした。 ハリーとロンには朝食のとき、ハーマイオニーがとの出会いから今までのことを全て話していた。 ハリーは昔のの姿も見たことはなかったが、ロンは男子に囲まれるに目をやりながら声を潜めて、

「僕知ってる。時々談話室の隅の方に黒髪の子が居たんだ。変な奴だと思って見てたけど、まさかその子がだったなんて」

そう言った後に、

「一部では陰で“ゴーストレディ”って呼ばれてたみたいだ」

と、眉を垂らせて申し訳なさそうに言った。



 地下牢の魔法薬学の教室前まで来ると、すでにそこに集まっていたスリザリン生らがじろじろとを見た。 ハリーやロンは自然と目付きが鋭くなる。 しかしよく見てみると、男子生徒と女子生徒の顔が違うことに気付いた。 男子は明らかにに興味津々で見入っているという感じだが、女子は恐らく嫉妬心からなのか悔しそうな目でを見ている。
 そのスリザリン生の集団から少し離れたところで、マルフォイが腕を組んで壁にもたれ掛かっていた。 その脇にクラッブとゴイルがいたが、二人とも他の男子生徒と同様にを見ている。 しかしマルフォイだけは他とは違っていた。自分の足元をじっと見て、何か考え込んでいるようだった。
 そのとき、教室の扉が開いた。

「さあ、入りましょう」

 ハーマイオニーが促して、四人は薄暗い教室へと入ろうとした。 すると、が誰かに押されて倒れそうになった。ハリーが抱きとめたとき、勝ち誇るような笑みを浮かべたパンジー・パーキンソンを筆頭にしたスリザリンの女生徒がそそくさと教室の中に入っていった。

「今のはわざとだ!くっそ、あの野郎……」
「ロ、ロン。いいの、私は大丈夫だから。ありがとう、ハリー」

 クスクス笑うパーキンソンたちにロンが飛び掛っていこうとしたのを、が止めた。 ハリーがの体から手を離そうとすると、

「どけよ、ポッター」

とマルフォイがいつもより数倍の憎しみを込めて言うと、ハリーを睨んでから教室に入った。 ハーマイオニーはため息をついて、マルフォイの背中を不思議そうに見つめるの手を引っ張って行って席についた。






「なあ、見たか?あのスネイプが頷いてたの」

 二限続きの魔法薬学が終わり、とハーマイオニー、ロンの三人は大広間で昼食をとっていた。 今し方ハリーは言い合いをするハーマイオニーとロンに嫌気がさしたようにして、一人で大広間を出て行ってしまった。 ハーマイオニーは「全く、八つ当たりするのはやめてほしいわ」とハリーの残していったシェパード・パイの皿を見ながら言った。 そんな重苦しい空気を、ロンの突然の話題が破った。

「スネイプのやつ、君の煎じた安らぎの水薬の入った細口瓶を見て頷いてた!」
「え、私の?」

 ロンはにその時のスネイプの真似をしてみせるかのように頷いた。

「確かに、あなたの薬は出来が良かったわ」
ってもしかして魔法薬が得意?」

 ハーマイオニーとロンは正面に座るをじっと見ていた。 はこのとき内心大喜びだった。あのスネイプ先生が自分の煎じた薬を認めてくれたなんて。

「得意というか、頑張らなきゃいけない科目だから……」
「え?どうして?」
「あの、あのね、将来の夢のためにも」

 サッとそこら辺にいた生徒が聞き耳を立てたような気がした。 「将来の夢って?」ロンは興奮したように言う。ハーマイオニーも気になるようで、瞬きをせずにを見る。 そんなに注目しなくても、というようには言った。

「私ね、癒者になりたいの」

 まあ素敵!とハーマイオニーは目を輝かせた。 周りの生徒たちはこれでに関する重要な情報がひとつ手に入った、という風にざわざわと話し始めた。 ロンも「ふー」と目を丸くした。 ハーマイオニーはぴん、と思いついたように口を開きかけたが、こつこつと歩みよってきた六年生の監督生に名前を呼ばれたのでそちらを振り向いた。

「グレンジャー、ウィーズリー。ちょっといいかしら?」

 その監督生の女子生徒はハーマイオニーとロンにそう言った後、を見て少しだけ微笑んだ。 もそれに頭を下げて返す。

「分かりました。、ちょっとごめんなさいね」
「ううん、いいの。行ってらっしゃい」
「じゃあ、闇の魔術の時間に会いましょう。行くわよロン」

 そう言うと二人は先輩監督生の後をついて大広間から出て行った。 それと入れ違いに広間に入ってきたのは最悪なことに、パーキンソンたちだった。 きゃあきゃあと騒ぎながらスリザリンのテーブルにつく。 は、魔法薬の時間にパーキンソンに押されたことを思い出してぱっと目を離した。 しかし、蛇のように目ざといパーキンソンはの存在に気が付いたらしく、にやりと意地悪く笑った。 ねえ見て、という風に周りの子に目配せをすると、わざと大きな声で言った。

「あーら、グリフィンドールのお姫様がお一人でお食事なさってるわ」

 ―――大丈夫、大丈夫。
 はパイの乗った自分の皿を見ながら心の中で言い聞かせた。

「全く、可哀想にね。皆からさっそく見放されたの?」

 ―――前まで誰にも相手にもされなかったんだから、それに比べればこんなこと言われるのはまだ、まし……。
 黙りこくるを良い事に、パーキンソンはさらに言った。

「傷者と貧乏人と出っ歯のしもべは、いったいどこ?」

 バンッ、と音を立ててが立ち上がったので一瞬にして大広間は静まり返った。 パーキンソンは最初は驚いたようだが、何も言わずに顔を真っ赤にさせているを見てまたにやりと笑った。

「なあに?お姫様はお口もきけないの?もしかして、こわいの?」

 パーキンソンの周りの女の子たちがきゃっきゃと笑った。 は自分の視界がぼんやりと霞んでいくのが分かると、鞄を引っつかんで大広間の出口へと走って行った。 笑い声が追いかけてくる。
 ―――悔しい、悔しい……。
 「友達のことを悪く言うのは許せない」と言ってやりたかったのに。 そんな勇気がない自分が情けなくて、悔しくてしかたがなかったのだ。
 するとは大広間の出口付近で勢いよく誰かにぶつかった。 どさり、ともその相手も床に倒れる音がした。

「ご、ごめんなさい!」

 その衝撃で、溜まっていた涙が目から溢れ出していたのだがは気付かない。 ただ、未だに霞む視界にはプラチナブロンドの髪が輝くのが映った。
 ドラコ・マルフォイだ。 まずい、とは思った。 今まで話したことはなかったが、ハリーたちに対するマルフォイの態度は酷かったし互いに憎み合っていることは勿論知っていた。 パーキンソンとも仲が良いみたいだし、私はグリフィンドールだし、絶対何か言われるに違いない。

「泣くほど痛かったのか?」

 意外な言葉に、は目を丸くした。 マルフォイは立ち上がって、まだ床に座り込むを見下ろしてそう言ったのだった。
 少しの間を置いて頭の整理が出来たは自分の目に手を当てて、涙が流れていることに気付いた。

「あ、いや、あのこれは……」

 「目に、ごみが入って」とべたな嘘を付いたが、本当の事を知るはずもないマルフォイにはばれることは無いだろうと思った。 しかしマルフォイは疑わしげに目を細めて見てくる。は逃げるよう後ろを向いた。
 ―――きっとパーキンソンは笑い転げてるだろうな。
 そう思ったが、パーキンソンは顔を強張らせていた。彼女は男子生徒に詰め寄られて、口々に何か言われていたのだ。 彼らがの代わりにパーキンソンに仕返しをしてやっていることに、は気付く筈もなかった。

「今度僕にぶつかったら、グリフィンドールから十点減点するぞ」

 マルフォイはそう言うと、が座り込む隣を靴音を響かせて通り過ぎ、スリザリンのテーブルへと歩いていった。 はようやく立ち上がると大広間から早足に出て行った。


 思ったより、ドラコ・マルフォイは悪い人ではないらしい。 そう思うとは自然と笑顔になっていた。もう涙はどこにも見られない。







(2007.8.12)