20.ネガティブ


、どうかしたか?」

 談話室の入り口に度々目をやっては溜息をついたり、膝の上に置いた手を執拗に揉んだりと落ち着かないの肩に、フレッドはそっと手を置いた。は驚いたように目を丸くして振り返ったが、それがフレッドだと確かめると笑みを零した。

「ううん……大丈夫、ごめんね」
「ほんと?」
「本当」

 しかし本当のことを言えば、はハーマイオニーの帰りを待っていた。先ほど、が女子寮の扉を押して階段を下りようとしていたとき、談話室からハーマイオニーやハリー、ロンの声が聞こえた気がした。しかし急いで下りてみると三人の姿はなく、ただ閉まっていく肖像画の向こうにハリーの丸眼鏡が見えたように感じただけだった。
 何が彼女を怒らせてしまったかが判らずもやもやとして晴れない心のまま、はとにかく直接ハーマイオニーと話したい、と彼女が帰ってくるのを待っていた。

「そっか。ならいいけど」

 フレッドが頷いた後では談話室を見回し、今初めて人の多さに気づいたようだった。いつのまにこんなに人が増えたんだろう、と思いながら、笑い声や興奮したような声がひときわ集中している方を見た。そこではジョージが生徒たちに揉みくちゃにされながら、帽子のような物を渡しては金貨を受け取っていた。

「ねえ。ジョージは何をしてるの?」
「ああ、商売さ」

 さらりと言うフレッドの片手には、向こうでジョージが売りさばいている帽子と同じ物があった。

「ただの可愛い帽子じゃないんだ。これを被れば……」

 ピンク色の柔らかな羽根のついた三角帽子を被ったフレッドの頭が消えた瞬間、は目をぱちくりとさせ、

「あなたたち二人って天才」

と、感心しきったような声色で呟いた。

「お気に召しましたか?」

 帽子を脱いで現れたフレッドの耳は微かに赤く染まっている。は何度も頷き、ポケットを探りはじめた。

「天才さん、私にも一つ下さい」
「えっ、が?」

 白のコインケースを取り出したが、私はだめなの、と語尾にクエスチョンマークを付けて答えた。

「い、いや……むしろ嬉しいよ」

 まさか買うと言い出すとは予想すらしていなかったフレッドは、柄にもなく口ごもりながらそう言い、手に持っていた帽子をに渡した。

「はい。二ガリオンだよね」
「えっ、どうして分かるんだ?」
「だってジョージが」

 フレッドの驚く様子が面白くて、くすりと笑ったが部屋の中央を指した。そこではジョージが「一個二ガリオンだよ!さあ買った買った!」と大声をあげて帽子を振っている。フレッドはますます耳を染めて、照れ隠しのように噛みしめた歯の隙間からスーっと息を吸ってから、

「まいど」

と、から一ガリオンだけを受け取るとジョージの元へ走っていった。手のひらにガリオン硬貨が一枚残ったがフレッドを呼び止めようとソファから立ち上がった時、肖像画が開いて、外から三人の生徒が談話室に入ってきた。それがハリー、ロン、そしてハーマイオニーであると気づいたはとっさに三角帽子を被った。

「またあの二人が店開いてるよ」

 頭の消えたが座るソファのすぐ後ろのテーブルに鞄を置いた三人のうちの一人、ロンが言った。

「なーんか、兄貴たちを見てると悩んでるのも馬鹿馬鹿しくなってくるんだよなあ」
「悩むって何に?」
「ずばりこの宿題の山に」

 尋ねたハリーはぷっと噴き出すように笑った。つられても笑ったが、

「いいから。はやく片付けてしまいなさいよ」

と、ぴしゃりと言い放ったハーマイオニーの声に表情を強張らせた。
 それから暫く三人は、フレッドとジョージの悪戯専門店の商品に興奮する生徒達の声で賑わう談話室の中で、黙って宿題を続けていた。で、なぜ隠れてしまったのだろうとひたすら後悔していた。帽子を脱いで「こんばんは」と言えば、ハーマイオニーがどれだけ眉間に皺を寄せるかを想像しただけで泣きたくなる。ハリーはどんなタイミングで透明マントを脱ぐ?いや、こういうときって脱がないの?

「あの帽子、どういう仕掛けなのかしら?」

 そう言ったハーマイオニーに、こういう仕掛けだよ、と言って脱いでみせる?一瞬本気でそうしようと思っただが、今夜は出直した方がいいかもしれない、とすぐに考え直した。そして頭を消したままの姿でソファから立ち上がると、一目散に階段へと走った。その後姿を追ういくつかの視線を感じつつも、は決して振り返らずに、帽子を深く深く被ったまま一気に階段を駆け上っていった。



 部屋に戻ったは、帽子を脱ぐとすぐにベッドに倒れこんだ。ピンクの羽根を弄びながら、天井をぼうっと見つめ、このままずっとハーマイオニーと元の関係に戻れなかったらどうしようと思った。

「なんで怒ってるの……」

 無意識のうちに呟いた言葉で、ハーマイオニーに対する憤りがいっきに体中を巡った。と思えば、それはすぐに消えうせた。

「……私がいけないの。あんなに良い子を…怒らせる原因をつくった私が、悪いの」

 何が彼女を怒らせてしまったのか、それはまったく分からない。もう一度ようく思い返してみよう、とは寝転がる体勢を変えて目を閉じた。
 暖炉の前でクリスマスの話をして(プレゼントは喜んでくれた。)、自分に整形の噂があることを報告して(ハーマイオニーは怒ってたけどそれは私にじゃない。)、マルフォイ君にマフラーを貰ったことを話して(眉間に深い皺を作ってたっけ。)、マルフォイ君への私の気持ちはなんて呼ぶのかを訊いて……。

「それだ!」

 そう声を上げ、ベッドから勢いよく飛び起きた。

「そんなこと訊いても、ハーマイオニーは私じゃないんだから分かるはずないよね。だから怒ったんだ!……怒る、それだけで?」

 首を傾げて大人しくベッドの端に座ったは「落ち着きなさい……」と唱える。よく考えてみれば、答えようのない質問をされて怒るほどハーマイオニーの器は小さくないはず。

「……マルフォイ君」

 マルフォイの名前を口にするといつも顔をしかめるハーマイオニー。彼女はどうして、忘れられない男の子がマルフォイでは、と推測するを間髪入れず否定するのだろう。
 四年生までのことはよく知らない。もちろんハリーやロン、ハーマイオニーは校内でも有名人だから知っていた。でも彼らとマルフォイがどうしてあれほどまでに憎みあっているのかは、知らない。ハリーたちは良い人。マルフォイ君だって、素直じゃないだけで本当はきっと良い人。互いに互いを認めたくないだけ?
 それに、もし。もし、このままハーマイオニーと仲直りが出来なかったら、私はまた独りになるのだろうかと思うと、唇が震えた。きっとハリーもロンも、ハーマイオニーの肩を持つ。あの三人は強い絆で結ばれているから当然だ。一年生のときはトロール事件。二年生では秘密の部屋。三年生ではシリウス・ブラックの件。そして去年は三大魔法学校対抗試合。そのどれにも彼らは関わっていて、共に壁を乗り越えてきた。その頃のは隅のまた隅に居るような生徒で、あの三人はまるで別の世界を生きる同級生だった。卒業するまで一言だって話す機会はないだろうな、と思っていた。将来、「私はハリー・ポッターやロン・ウィーズリー、ハーマイオニー・グレンジャーの同級生で同じ寮だったの」と自慢できることを誇りにするだけで十分だった。それなのに、そんな三人の中に、自分のようなどこから沸いて出たか知れないようなのが入って。

「――迷惑じゃないのかなあ」

 そう呟いた後で、突然我に返ったようにしては頬をぴしぴしっと叩いた。短い間に、ぐるぐると色々なことを考えてしまった。それもネガティブな方向へ。ネガティブなことばかりを考えていたら幸福の天使は来てくれないのよ、といつも母は言っていたっけ。母の顔を思い浮かべながら、小机の上のディリス・ダーウェントの肖像画に目をやった。

「ディリスさん、お母さん……」

 懐かしい香りのする肖像画の中に、ディリスは居なかった。ホームシックに襲われたのは久しぶりだった。
 きゅっと固く結んだ唇に、いまにも涙が溢れ出さんばかりの目が捕らえたのは、床に横たわる鞄から覗く黒のマフラー。手が勝手にそれを求め、首に巻きつけた。そうして、はやく明日になればいいと思った。明日になれば、何かが変わってくれる気がしたからだ。
 首元の黒のマフラーは温かく、耳たぶの白薔薇のピアスは冷たい。




 ――もうマルフォイに近づいちゃだめよ。
 夢の中でハーマイオニーが言う。とても厳しい顔をして、押さえつけるような声で。どうして?と訊けば、彼女は口を開いて何かを言った。



 体のどこかを掴まれてぐいっと引っ張り出されるような感覚で、は目を覚ました。まだおぼろげな視界には、ハーマイオニーがいる。

「……え、ハーマイオニー?」
「聞いて

 私のこと怒ってないの?と聞く前に、ハーマイオニーは何が起こったのかまだ理解出来ていないの両肩を掴んで、言った。

「もうマルフォイには近づかないで」








(2009.2.16)