23.闇と灯り


 一年生が雪合戦をする様子を横目で見ながら中庭を横切っていると、不意に後ろから「ジニー」と声を掛けられ、ジニーは足を止めた。振り返ると、真紅と金色のマフラーを首に巻いたが手を振りながらこちらへ駆けて来るところだった。

?鼻が赤いけど、どうしたの」
「さっきまで薬草学の授業だったの。温室からここまでが遠くって……本当に赤くなってる?」
「うん。赤いわ」

 鼻を気にしながら聞くに素直に頷けば、彼女は恥ずかしそうに笑った。そこで雪を踏む音と陽気な笑い声に気を取られたは、中庭の中央ではしゃぎ回る生徒たちに目をやると、わあ、と声を漏らした。

「あの子たち元気ね。何年生かな?」
「一年生よ。あのハッフルパフの釣り目の男の子、私の友達の弟だから分かるの」

 ジニーの指した男の子は、友達の横顔に大きな雪玉をぶつけて、まだ幼さの残る高い声で笑っている。力いっぱい笑った後でこちらに気づき、男の子はジニーに大きく手を振った。ジニーは男の子に視線を定めたまま、ひらひらと手を振り返しながら言った。

「その友達ね、の大ファンなのよ」
「え?」
「すごく憧れてるみたい。この間なんて、あなたみたいな黒髪になりたくて髪を染めようとしたんだから」

 先ほど横顔に雪を当てられた生徒が、ジニーに気を取られていた男の子の後ろ頭で雪玉を割り、周りの子たちと一緒に爆笑している。その様子を見て呆れ笑ったジニーは「歩きながら話しましょう」と言って、城の玄関に向かって歩き始めた。

「でも、せっかく綺麗なブロンドなんだからって言って止めたんだけどね。彼女の顔に黒髪は似合わないと思ったし」

 すれ違う生徒たちはを見て囁きあう。この光景にはすっかり慣れてしまっていた。ジニーは周囲の様子を気にせず、たっぷりとした赤毛を揺らしながら歩きつづける。はその横を歩きながら不安げに聞いた。

「そのお友達、本当に私なんかを?だって私、整形してるって噂が流れてるし……」

 これでジニーの歩くスピードも少しは落ちるかと思っていたがそれは一向に変わらず、けろりとした様子で答えた。

「まあ確かに、その噂を信じている人が多いのも事実ね。は医療魔術に優れてるから、顔の一つや二つ変えるのは朝飯前だって。でも私の周りの子たちはみんな信じてないわ。これっぽちも」

 ジニーの言葉が終わらないうちに玄関扉前に着き、足を止めた。二人が扉の前に立つと、巨大な樫の木の扉はギシギシと低い音を立てながら独りでに開いた。途端に温かな松明の灯りと賑やかな声が溢れ出す。ジニーとは夕食をとるため、大広間に出入りする人込みの中に混じった。

「この間、パーキンソンがあなたについて根も葉もないことをぺちゃくちゃ喋ってたから、人込みに紛れてコウモリ鼻くその呪いをかけてやったわ」

 愉快そうに言うと「あれはひどかったなあ」と、くすくす笑う。はジニーのさっぱりした性格と、さすがウィーズリー家というようなユーモア溢れた人柄が好きだった。

「ジニー、ありがとね」
「お礼なんて」

 グリフィンドール生の集まるテーブルに着くと、二人は向き合って座った。ふう、と一息ついたジニーはゴブレットに水を注いで一口飲むと、斜め前にあるミートパイの皿に手を伸ばした。は周囲をきょろきょろと見渡している。


「えっ?」

 びくっと肩を上げ、は慌ててジニーの方に顔を向けた。

「さっき。何か私に聞きたいことがあって声を掛けたんでしょう?」

 寒さに鼻を赤くして駆けてきたの姿を思い返しながら、ジニーは真っ直ぐにの目を見つめた。は少しの間唇を結んで目を左右に泳がせた。そうして再び周囲を見回した後でジニーに顔を近づけ、意を決したようにして口を開いた。

「ジニーは知ってた?フレッドが私のことを、あんな風に想ってくれてたこと……」

 予想通りの言葉だった。ジニーは初めから、が自分にフレッドのことを訊きに来ることを予想していた。先ほどは薬草学の授業だったと言ったが、グリフィンドールの五年生は今日の午後は授業が無く、自由時間のはずだった。ジニーを探して学校中を歩き回っていたのだ。

「知ってたわ、ずっと前から。本人の口から聞いたことはないけど、見ていて分かった」

 ジニーが答えると、は一度視線を落とした後、再びジニーの目を見て訊く。

「どうして分かったの?」
「だって、私はフレッドの妹よ」

 ミートパイを一口かじって、水を飲む。そのジニーの動作をじっと見つめながらは唇を結んでいた。

「フレッド、よくあなたの髪とか肩に触れてたし。それに、あなたを見てるときの表情なんて本当に、いつものフレッドからは想像できないぐらいに穏やかだったもの」

 そう言われて思い返してみれば、確かにフレッドはよくに触れていた。パーキンソンの言動に思うように言い返すことが出来なかったときも、フレッドはの頭を撫でて落ち着かせてくれた。廊下ですれ違うときは「じゃあな」と、はにかんだような笑顔で肩をぽんっと叩いて通り過ぎて行っていた。

「クリスマスだって、一人でこそこそ町の雑貨屋さんに行ってプレゼントを買ってたみたいだし。届いたでしょう?ネックレスだったと思うんだけど」

 クリスマスには、ウィーズリーの双子から別々に小包が届いた。ジョージからはお菓子セットを、そしてフレッドからは華奢な猫と赤い小さな花のついたネックレスを。まだ身に付けたことがなく、一度箱を開けたっきり小机に閉まったままのあのネックレスを、フレッドが特別な思いでプレゼントしてくれたことなど知らなかった。

「私本当に、気が付かなかった……」

 心臓が掴まれるような思いだった。言いようの無い罪悪感が襲い、はテーブルに肘を付いて頭を抱え込んだ。ジニーはその様子をじっと見つめたまま暫く何も言わなかった。大広間中に満ちる喋り声や笑い声、フォークが皿に当たる音の中にフレッドの声が聴こえた気がして、はとっさに顔を上げた。しかし、辺りを見回してもフレッドらしき人は居らず、彼と同じ赤毛の少女が毅然とした様子で自分を見つめているだけだった。

「フレッドの思いに気づいてたらどうにかなることだった?気づいてたら、もフレッドに恋してた?」

 ジニーの真っ直ぐな視線はのすべてを見透かすようだった。昨日の晩のフレッドの表情を思い出して目頭が熱くなった。フレッドとジニーの目は、よく似ていた。

「フレッドは、ふられるって分かってたと思う。分かってて、告白したんだと思うわ」

 昨日、フレッドとが二人で寮へ帰って来たとき、ジニーも談話室に居た。そしてフレッドがジョージに連れられて男子寮へ去った後しばらくして、ジョージだけが再び談話室に現れて、二人に何が起こったのかとハーマイオニーと話し込んでいたジニーを呼んだ。双子の部屋へ入ったとき、フレッドはベッドに腰掛けて放心しているようだった。ジニーが語りかけている内にようやく、ぽつりぽつりととのことを話し始めたのだった。

「分かってて?そんな、どうして……?」

 の鼻は再び赤く染まっていた。堪え切れなかったのか、涙が一欠けら目から零れ落ちる。

「恋がどういうものか、あなたに教えるため」

 ジニーは静かに言った。恋は決して楽なものじゃない、というフレッドの言葉が耳に聴こえてきた。「気づけばそいつを目で追ってたり、そいつのことで頭がいっぱいだったり、そいつを――その子を、自分だけが独占しておきたいと思ったり。……恋は、決して楽なもんじゃない。いつも自分との葛藤だ」。陽だまりの似合うフレッドが昨晩、ほの暗い月明りの下で言った言葉を思い出した。ジニーはゴブレットに手を伸ばし、水を一口含む。そして少し身を乗り出して、に顔を近づけた。

「あなたはいつも、誰を目で追って、誰のことを考えてる?」

 涙で霞む視界の中で、ジニーの赤毛は不思議と映えて見えた。

「答えは誰も教えてくれない。だってそうでしょう?あなたのことなんだから、自分で見つけないと」

 涙を流すに、ジニーはやさしい声でそう言ってローブからハンカチを取り出した。

「ほら、涙を拭いて。視界が霞んでいたら何も見えないわよ」

 ジニーが握らせたハンカチで目を押さえると、じわり、と涙が染みた。

「ありがとう。ジニー」

 俯いたまま、かすれ声でお礼を言うと、ジニーは首を横に振った。

「本当ならこういうとき、ハーマイオニーがあなたの傍にいてアドバイスをするべきだと思う。でも、許してあげて。彼女も葛藤してるの」

 ハーマイオニーの葛藤がいったい何によるものなのか。それを聞こうと顔をあげたの視界を、プラチナブロンドがすっと横切った。大広間の扉へと歩いていくその後姿を目で追っていると、ドラコ・マルフォイが不意にこちらを振り返って、と目が合った。しかしその視線はすぐに逸らされ、マルフォイは人込みの中に消えていった。は再びジニーへ向き直ったが、彼女はを見ていなかった。ジニーもまた、たった今マルフォイが去っていった大広間の扉の方を見ていた。

「ジニー?」

 声を掛けると、ジニーはその視線をそのままへ流し、囁くように言った。

「フレッドの失恋を無駄にしないでね。お願い」




 玄関ホールの時計が鐘を打った。その音が大広間まで響き、は目を覚ました。あれからどのくらい経ったのだろう。先ほどまでちらほらと居た生徒たちの姿もなく、は広い大広間にたった一人で座っていた。手元にあったはずの食器やゴブレットも消えている。食事を済ませたジニーに先に寮へ帰ってもらい、マルフォイとの約束の時間までここで過ごすつもりだった。
 は急いで席を立って大広間を出ると、大理石の階段横にそびえ経つ時計を見上げた。

「――九時!」

 約束は九時に七階の715番教室だ。は階段を駆け上り、七階へ急ぐ。真ん中で一段消える階段では、危うくジャンプをし忘れて転落してしまうところだった。
 何分走り続けただろうか。ようやく七階にたどり着くと、は乱れた呼吸を整えるために壁にもたれかかった。ある程度落ち着くと再び足を動かし、ほの暗い廊下を進む。人気の無い廊下は心底不気味だった。壁に掛かる肖像画のほとんどが空で、の靴音以外何も聞こえない。
 715番教室の表札を見つけると、は高鳴る胸を抑えてドアノブに手を掛けた。そしてそっと扉を開ける。教室の中は廊下よりも暗かった。窓辺に一本だけ松明が置かれており、その傍らに人影があった。

「遅い」

 マルフォイはに背を向けたまま言った。

「あの、ごめんなさい。大広間で寝てしまってて……」

 は謝ると、扉を閉めた。古びた机が並んでおり、その列の間を縫うようにしてマルフォイの元へ近づいていく。しかし、ようやくがマルフォイの傍まで来ると、机に座っていたマルフォイはすっと立ち上がり、から離れていった。

「マルフォイ君。話って何?」

 松明の灯りが届かないところへ消えたマルフォイに声を掛けたが、返事がない。広がる闇に、は数日前の日刊予言者新聞を思い出した。死喰い人の脱獄の記事を見てマルフォイは喜んでいるはず、と言うハーマイオニーを否定し、口論した。あの後、ブナの木の下で会ったマルフォイの様子からは、とても喜んでいるようには見えなかった。むしろその横顔には恐怖の色が浮かんでいた。深い闇を抱えているように感じたのだ。
 そのことを思い出した途端、は暗闇の中を手探りで進み出した。机につま先をぶつけてよろめくと、近くで人の動く気配がした。すかさず手を伸ばすと、確かにマルフォイの腕を掴んだ。その腕をしっかりと掴んだまま、はすっかり遠く離れてしまった松明に杖を向け、浮遊させた。灯りが二人の方へ近づいてくると、互いの顔が暗闇に浮かび上がった。マルフォイは目を丸くしてを見下ろしている。

「暗闇の方に行かないで。見失っちゃうから」

 マルフォイが微かに頷いたのを確認すると、は腕を放した。

「話って?」

 松明の灯りを隔てて向き合うと、が静かに言った。マルフォイはすぐには答えず、しばらく黙り込んでいた。ぱちん、と松明が火の粉を吹いては思わず目を閉じた。

「僕とお前は、ホグワーツに入学する前に会ったことがある」

 マルフォイの言葉に、はゆっくりと瞼を開ける。ドラコ・マルフォイは真っ直ぐにの目を見ていた。






(2009.7.20)