川沿いの道を自転車で走っていると、今日からもうの家へ寄らなくても良いのだと気が付いた。途端にスピードが落ち、キキッという音と共に、サスケは自転車を止めた。ついこの間までは、毎朝の家の前で、朝の弱い彼女が出てくるのを十分ほど待たされ、愚痴を言いながら学校へ向かい、朝礼ぎりぎりの教室に駆け込んでいた。しかし彼女が高校を卒業した今、そんな必要はなくなった。
 チリンチリンと鈴が鳴り、横に二列並んだ自転車が傍らを通り過ぎて行った。サスケは腕時計に目を落とし、これまでの習慣が抜けきれずに早く家を出てしまったことを後悔した。いつになく余裕を持って登校してきたことを、同級生は珍しがるのだろうか。そんなことを思い、サスケはチッと舌を打った。そうして再び自転車をこぎ始める。


「あ、おかえりー」
 夕方。サスケがマンションに帰ると、リビングのソファで横になっていたがひらひらと手を振った。
「……お前、いくら合鍵持ってるからって黙って人ん家に入るな。連絡ぐらい寄こせ」
「ごめーん。次から気を付けるけど、今さらそんな水臭いこと言わないでよ。さびしくなるじゃん」
 はそう言って、軽く頬を膨らませながら上体を起こした。サスケはそんなを横目に、リビングと面する自室に入る。
 サスケとイタチは数年前からマンションを借りて二人で暮らしていた。父親の赴任先が海外になり、母も父について日本を離れたからだ。それまで大学の近くで下宿をしていたイタチは、両親の海外赴任をきっかけに地元に戻り、サスケと生活するようになった。は、一人っ子で両親が共働きの家庭だったので、小さい頃からよくうちは家へ遊びに来ていた。それは兄弟が二人暮らしをするようになってからも変わらず、こうして合鍵を使って家へ上がることも度々だった。
「ねー。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
 ノックも無しにずかずかと部屋へ入って来たのをサスケが咎めれば、は「はいはい」とうるさそうに答えた。
「入学式に着ていくスーツのことなんだけど」
 言いながらベッドへ横になったので、「おい」と言えば「はーい」と体を起こした。
「スカートが良いと思う?それともパンツ?」
「……パンツ?」
「やだ。イタチと同じ反応。パンツって、あれだよ?パンツスーツ。ズボンのことだからね?」
 黙り込んだサスケには愉快そうに笑った。サスケは罰が悪そうに言う。
「……なんだよ。もう兄さんに聞いてるなら、わざわざ俺にまで同じこと聞く必要無いだろ」
「イタチはスカートにしとけばって言うの」
「じゃあそうすれば良い」
「でも私はパンツが着たいの」
「じゃあそうしろよ」
 わけわかんねえ、と言い放ってサスケが部屋を出ると、その後を追いながら「でも」とは続ける。
「イタチは、パンツスーツはある程度背が高くないと様にならないからやめとけって言うの。色気が出ないって」
「スーツに色気を求めてやがんのかあのクソ兄貴は!」
 思わず声を上げると、は口を開けたまま首を傾げた。それを見下ろしながら、サスケはため息をついた。
「お前は何着ても色気なんて出ねぇよ。大人しくスカート履いて行け」
「色気とかそんなの求めてないよ。ていうか失礼な!私はただ、パンツスーツの方がかっこいいかなあと思って。だってスカートの人なんてきっとたくさん居るし、なんか丈が微妙な長さで野暮ったいし」
「もう好きにしろって。腹減った。兄貴は?」
 冷蔵庫を開けても目ぼしいものは何も入っていない。がイタチのことを聞いても口をつぐんでしまって答えないのは、サスケの態度が気に食わないからだろう。サスケは仕方なく部屋に戻り、鞄から財布を取り出した。
「飯。なんか買ってくるけど、お前も家で食って行くか?」
「……いらない」
「あっそ」
 踵を返してリビングを出て行こうとすると、その背中にが言った。
「サスケ、なんか冷たくない?」
 振り返って見ると、ただでさえ小さながより小さく縮んで見えた。すぐに視線を逸らして、ドアノブに手を掛けながら呟いた。
「別に」
 次にこの部屋へ戻ったとき、きっとは居なくなっているんだろう。そう思いながらリビングを出て、玄関へ向かった。





(2011.6.14)